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凶作・飢饉のための救荒作物 −−ソバとヒエ−− |
わが国の歴史を食料という側面から見ると、自然災害や凶作による食糧不足のためにたびたび飢饉に見舞われてきた歴史でもある。そのために、災害や凶作による飢饉を凌ぐための食料を備蓄するとともに、冷害や旱害にも強く生育期間の短い作物の栽培にも力を注いできた歴史がある。そして、このような作物を、救荒作物または備荒作物といい、なかでも、永く貯蔵に耐えられる稗(ヒエ)・蕎麦(ソバ)・籾(モミ)などは救荒作物の代表で、10年とか2,30年、さらに50年などの耐蔵年数を記録したものまである。 昭和16年秋から17年春にかけて、日本民俗学会の前身にあたる民間伝承の会が行った「食習調査」があり、そこでは全国約六十ヶ所にたいして行った98項目の質問を基に調査をしている。 そのなかに「飢饉時の食事習俗に関する質問」があって、98番目は「凶作飢饉の年、あるいはそれの予想される場合、そのためにとくに貯蔵しておく食物がありましたか。また、そのための特別の設備がありましたか。 ・・・ 一部省略 ・・・ 永く貯蔵に耐える食料にどんな種類のものがありますか。それぞれの耐蔵年限はどれくらいですか。貯蔵方法はどうしましたか。」がある。 既に昭和の時代になって、凶作・飢饉の体験から時代が下っていることもあって、他の質問項目に比べて回答された事例は少ないが、抜粋すると下記のようになる。 (注釈や解釈は入れず、調査地域と回答内容をそのまま抜粋することにした。) 岩手県上閉伊郡附馬牛村
備荒法 籾のままだと4・5年は貯蔵できる稗は一番長く貯蔵できる。10年ぐらいは大丈夫。 秋田県仙北郡中川村ほか
稗は50年間貯蔵ができるという。籾・蒸し米は20年ぐらいは保つという。 福島県田村郡滝根村ほか
凶作のために準備した食物をガシカコイといった。 籾は14,5年ないし30年ぐらいの貯蔵品は食えた。 そばは、殻のまま貯蔵すれば、いつになっても役に立つ。凶作の備えにそばを置けと、昔は教え伝えた。ソバノガシカコイという。 粟は穂のまま貯える。 大根は適宜輪切の大根をゆでて後、乾燥し貯える。 福島県石城郡大浦村
ガシカコイといって、稗はよくかこわれた。 群馬県利根郡白沢村・片品村
稗が救荒の穀物とされ、一番永く貯蔵に耐えると言い伝えている。 永く貯蔵できる種類は稗・そば・籾は良く乾燥すればいずれも10年以上。 新潟県岩船郡下海府村
そばを粒のままに10俵も15俵も貯えた人もある。それは7、8年は保てる。 新潟県岩船郡山辺里村
黍。シイナ・そば粉はつねに貯蔵した。 (粉は間違いであろう。) 長野県南佐久郡川上村
郷倉といって、共同作業で作った稗・そばなどを、皮をつけたまま飢饉の年に備えるために入れておいた。古くなれば20年ぐらいに一回、新しいものと取り替えた。 島根県鹿足郡日原村
稗はがしの飯米といった。四十年にもなる稗があった。 熊本県八代郡五家荘久連子村
稗・唐黍は何年でも貯蔵される。唐黍は3年ぐらい。 参考図書 日本の食文化 −昭和初期・全国食事習俗の記録− 成城大学民俗学研究所編 岩崎美術社 |