京都のそば屋  <  サイトへ移動   .

   「にしんそば」は上方名物  

     昨今、「にしんそば」は全国どこに行ってもそば屋の定番メニューのひとつになっている。これは、文久年間(1861〜63)創業の京都のそば屋「松葉」の二代目が明治15年頃考案したのが発祥である。  京都はそば粉で作った蕎麦菓子が有名で総本家河道屋の「蕎麦ほうる」、本家尾張屋の「蕎麦板」と京都井筒屋の「如心松葉」が蕎麦の味を生かした京銘菓となっている。
    これらの店は江戸時代以前とか江戸時代の創業など古都にふさわしい老舗であるが、なかでも本家尾張屋は寛正6年(1465)に菓子司として始まり、そば処としても有名になって江戸時代には宮中の御用蕎麦司をつとめた。

     京都には、このような老舗のそば屋が何軒かあって伝統の味を守るとともに、新しいそばも加わって上方の蕎麦の分野をも豊かにしている。
    代表格はなんと言っても「にしん蕎麦」で、明治15年に考案されて評判になり、その後京都を代表するそばの名物になっている。
    古都に似合う京都らしいそばで特に底冷えのする京の冬の味覚である。
    京都の比叡下ろしは格別に寒くこの季節によく似合う馳走の一つであって、上品なつゆと甘辛く煮込んだ身欠きにしんと蕎麦、さらに香りがよくやわらかい京の青ネギとの相性が良く、京を代表する蕎麦の地位を確立すると共に、全国各地にも広まって地域を問わずそば屋の定番品書きのひとつとなっている。

     もともと身欠き鰊も棒鱈も海を持たない京の都にもたらされた貴重な魚類の保存食であり動物性タンパク質であった。その棒鱈を京芋と組み合わせたのが「いもぼう」であり、身欠き鰊に蕎麦を組み合わせて「にしんそば」という二つの京都の味が出来ている。特に鰊は、いろんな惣菜にも使われ、関西で昆布巻きといえば「にしん昆布巻き」を指すくらいである。
     昔から、「身欠きにしん」は米のとぎ汁に何日も浸けて戻し、さらに米のとぎ汁で煮たり、ずいぶんと手間を掛けて調理をした。 昨今はその「本干し」よりも「生干し」や「ソフトにしん」が一般的になってきている。

     鰊は北海道など北太平洋の3・4月に産卵のため浅所に大挙して回遊してくる魚で、一時に大量に穫れるので食用はもちろん鯡油や肥料など多くの用途で使われた。 その卵は「数の子」として当時は重宝された。
    小樽市では銭函(ぜにばこ)という銭の箱に通ずる地名が残り、積丹半島には当時の網元が建てた鰊御殿も残っていて往時をいくらかでも偲ばせてくれる。
     「身欠き鰊」は鰊を保存用に乾かしたものであり、とても硬く油分とアクの強いものである。 北前船で浪速や京の上方へ上ってきた貴重な動物性タンパク質であった。
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