天台宗霊應山慈音院

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当該の鉄湯釜は寺庄の八王子大権現(現日吉神社)に伝えられたもので、祭礼に用いられた湯釜である。八王子大権現には外にも「天保十二歳辛子三月日」銘のある鉄湯釜一口も伝来しているが、鋳物師名は記されていない。(ただし天保12年の干支は辛子ではなく辛丑である。)
ところでこの鉄湯釜は寺庄村の北田兵次、長左衛門によって宝永元年(1704)に寄進されたものである。羽上面に陽鋳される「大工四良兵衛」から寺庄村鋳物師であった望月四郎兵衛の作になることが分かる。寺庄村鋳物師望月四郎兵衛については真継家配下の鋳物師として近世末の文献にみえることからその名が知られている。
口縁部内側に表された桝形は、特定の鋳物師集団の作であることを知らせる印(しるし)とされるが、同様の印は辻村鋳物師、長村鋳物師の作にも認めることができる。
甲賀市内では甲賀町の大鳥神社に「大工辻村田中藤左衛門」慶長7年(1602)の鋳出銘の鉄湯釜がり、辻村の鋳物師の作として甲賀市指定文化財となっているが、当該の鉄湯釜は望月四郎兵衛に関する資料が乏しい中にあって、本市において現存する四郎兵衛の作品として貴重である。
(銘文)胴部と羽上面に下記の銘文が陽鋳されている
     (胴部、右廻り) 八王子大権現湯釜奉寄進
     (羽上面、右廻り)杣寺庄村北田兵次 長左門 啓白 大工四良兵衛
     (羽上面、左廻り)宝永元甲甲天十一月吉日
(法量)口径 35.0
    高さ 29.0  (単位cm)
(品質・形状)
 鋳鉄製。口縁部に一条の平紐を覆輪状に巡らし、胴部には上から二条、一条、一条の平紐を巡ら
 している。羽(羽の出4.5cm)をつけ、胴部と羽上面に陽鋳銘がある。口縁内部な桝形が表される。

羽上面右廻り 前段 「杣寺庄村北田兵次 長左門」の銘が見られる

羽上面右廻り 後段 「大工 四良兵衛」の銘が見られる

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