06/08/08

 弟が、推薦入試を受けるとかで、
 大学の志望動機が必要なのだとか。(1200字)
 代筆頼まれたので、書きました。


 天網恢恢、疎にしてもらさず。この老子の言葉は、祖父の口癖でもある。私が幼い頃から、祖父は「悪いことをしてはいけない。天は悪人を必ず見逃さないのだから」と私に懇々と説いてきた。初めてこの言葉を祖父に教えてもらったとき、私は祖父の言葉を「正義は勝つのだ」という意味で漠然と理解し、そして単純に正義のヒーローとして、警察官になりたいと思った。しかし、今の考え方は、幼かった当時とは少し変わってきている。天網恢恢という言葉は、私に「正義とは何か」という概念を意識させるようになった。

 正義という言葉ほど曖昧な言葉はないように思う。平成13年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ事件の報復に、アメリカがイラクへ戦争を仕掛けたとき、アメリカはしきりに「正義」という言葉を強調していたが、その出来事で一層、「正義とは何か」と私は考えさせられた。確かに、テロ事件は許されない犯罪だと思う。しかし今、泥沼化したイラク情勢をテレビの報道や新聞で見ながら、これが正義の結果なのかと疑問と不安を感じるのである。芥川龍之介も侏儒の言葉の中で「正義は武器に似たものである。武器は金を出しさえすれば、敵にも味方にも買われるものである。古来、正義の敵と云う名は砲弾のように投げかわされた。しかし修辞につりこまれなければ、どちらが本当の正義の敵だか、滅多に判然したためしはない」と言っている。アメリカに正義があるように、イラクにも正義があるのだろう。国家レベルの正義の闘争が、現在の混沌としたイラク情勢を生み出しているのだと私は思う。

 私が幼い頃に思った「警察官になりたい」という気持ちは、今も変わっていない。しかし、天網恢恢を実現しようと考えれば考えるほど、正義とは何か、つまり何が善で何が悪かということをしっかりと学ばなければならないと、強く思う。いくら正義を実現しようとしても、それが身勝手な正義であれば、平和は実現しないと思うからだ。だから、私は龍谷大学法学部を志望した。ギリシャ哲学者のプラトンが「法律が警察官を正しく指導し、警察官が人々を正しく指導することが正義である」と説いているように、法律学は警察官として正義を全うするために大切な学問である。また龍谷大学の「すべての命を大切にする『平等』の精神,真実を求め真実に生きる『自立』の精神,常にわが身をかえりみる『内省』の精神,生かされていることへの『感謝』の精神,人類の対話と共存を願う『平和』の精神」という5つの精神を私はとても身近に感じるとともに、私が考え続けている正義の概念とこの5つの精神とは、合い通じるものがあると考えたからだ。このような気風の龍谷大学のもとで、法律学を修得することによって、私は「正義とは何か」という疑問に対する答えを見つけることができると確信して、龍谷大学法学部の出願を決意した。


06/08/25

 弟の推薦入試の結果ですが、
 無事通ってしまったようで。
 なんていうか、こんなに簡単に受験を終えてしまっていいのだろうか。
 私はもっともっと苦労したのですが。
 まあ、弟にはこのほうがよかったように思います。

 志望動機の他に、自己推薦文も必要ということだったので、
 それもついでに書きました。
 私が書いた文章で落ちられたら、面目立ちません。

 以下、その自己推薦分。(900字)

 中学そして高校生活で、私が一貫して真剣に取り組んできたことの一つにバドミントンがある。その中でも、私自身が部長を務めた期間は、特に印象深い。部長に選ばれたとき、私は「今までの努力と情熱を、部員や顧問の先生に認めてもらえたのだ」という充実を感じるとともに、「部員たちをまとめきれるだろうか」と不安も感じていた。集団をまとめる難しさというのは、そのときまでに風紀委員を務めた経験から、痛感していたからだ。

 当時のバドミントン部は、勝ち負けに執着しない雰囲気であった。私は負けず嫌いな性格であったが、部員をまとめなければならないという立場でもあり、この雰囲気に歩み寄るかどうかで悩んだ。悩んだ末に、私はまとめ役として部員に歩み寄るよりも、リーダーとして部員を牽引していこうと決意した。高校2年生の県大会で3位まで勝ち進んだときに私が得た勝利の喜びを、他の部員にも知ってもらいたかったのだ。

 怠け者のリーダーには誰もついてこない。部員を牽引するため、皆の見本となるような部長を目指して、より一層、部活動に励まなければならなかった。皆に認められるために、部活動だけでなくクラス活動にも積極的に参加し、3学期にはクラス委員長も務めた。苦しい練習を嫌って私を非難していた部員も一部にはいたが、やがて私の熱意が伝わり、バドミントン部は一丸となった。

 高校3年生の県大会のダブルスで、相手にマッチポイントを取られているときのことだ。勝つことが絶望的な状況で、ダブルスのパートナーが私にこう言った。「俺は勝ちたい。勝たせてくれ」と。そのパートナーは、昔は勝ち負けに執着がなかった人だった。そんな彼の言葉に、私は嬉しくなると同時に「絶対勝たせてやる」と思い、そして逆転勝利を手にすることができた。試合後のパートナーの「ありがとう」という言葉に私は涙した。

 漱石枕流という言葉のように、負けず嫌いは、偏屈にも陥りやすい。しかし、私はバドミントン部で部員がついてきてくれたという経験から、自分の負けず嫌いな性格は長所だと自信をもって言える。