04/10/03

 弟の誕生日でした。
 おめでとうマイブラザー。

 というわけで実家に帰って来ているわけです。
 実家は、小学校の向かいに面しているのですが、
 ちょうどこの日はその小学校で、
 幼稚園の運動会をやっていたのです。

 幼稚園の運動会というのはなかなか特殊でした。

 かけっこの最中とかに、
 「○○ちゃーん、頑張れ〜〜」
 というアナウンスが流れるんです。
 ありがちですけれど、マイクのアナウンスというのはやはり……。

 幼稚園の先生も大変そう。

 しかし、「○○ちゃーん、頑張れ〜〜」のセリフを
 女の先生が言うのならば許されるのですが、
 男の先生が言っていると、馬鹿っぽいというか変態っぽくて素敵でした。


04/10/07

 基本的に人間って、己の過去を正当化したがるものだと思うんです。

 私が勉強してきた数学も物理も、
 きっと人生において役には立たないんだろうな、ってことは
 薄々気付きつつも、それでも中学高校と一生懸命取り組んだ
 ってことを肯定したくなったりします。

 でもね、やっぱり過去を否定したくなるときもありますよね。
 昨日の私が丁度そんな感じでした。

 でもね、どんな過去にも、尊重できるところがあるようです。
 大切な人に教えられました。

 人の振り見て我が振り直せ、って言葉があるくらいですから。
 消し去りたい過去を見て、それを未来に生かすことも可能でしょう。
 そういう意味では、消し去りたい過去も大きな財産です。
 問題解決学習。
 プラグマティズムですね。
 歴史から学んでいくわけです。

 しかし私は、本当に愛を知らずに生きてきたんだな、って実感。
 知ってしまった今から考えると、あの頃の自分が信じられません。
 さて、知ってしまったことは、吉と出るか凶と出るか。

 知らないことが幸せだったりもしますから。


04/10/08

 自転車がパンクしました。
 移動の最重要手段が自転車なので、早速修理へ。

 空気が抜けて、ホイールが地面にダイレクトに当たり、
 カタンカタン鳴る自転車を引っ張って、自転車屋さんへ行きました。
 家の近くに、果たして1日に1人お客が来てるのか
 どうかも分からないような、
 小さくてボロボロ自転車屋さんがあるんです。

 店のオジサンは、この道48年の熟練者。
 世間話をしつつ、私の自転車を手際よく直してくれました。

 修理を頼んだのは初めてなんですけれど、
 この自転車屋さんにくるのは5回目くらい。
 自転車の空気が抜けてきたときに、空気入れ貸してもらったり、
 部活の練習用に、いらなくなったタイヤのチューブをもらったり。
 ここのオジサンはとてもいい人です。

 明日上陸の台風22号。
 史上最大の規模らしいですね。
 明日はバイトに部活。
 バイト先が、徒歩では少し遠いので、
 直したばかりの自転車に、すぐ働いてもらいます。
 また壊れなければいいのですが。


04/10/14

 コスモカオス完成!
 長かったですね。本当に長かった。
 これでやっと重荷が肩から降りた感じです。

 薬理学の本を買ってきました。
 どの本を買うか迷って、本屋で迷うこと半時間。
 結局、安くて薄いシンプル薬理学にしました。
 とりあえずこの本からやって、
 全部終わったら、もっと詳しい本を買おう、という方針で。

 医学書って、ピンからキリまであって、
 18000円のロビンス基礎病理学が是非とも欲しいのですが、
 お金が足りず、どこか教室に落ちてないか……いや、これはマズイか。

 ちなみに、探せばもっともっと高い本はありますけど。
 それだけ高い本買っても、2年もすれば情報は古くて役立たず。
 5年前の医学なんて、今と全然違いますからね。
 ドリーの時代でしょ、まだ。

 とりあえずロビンスが欲しい……。
 でも、標準病理7800円で我慢かなぁ。
 情報量的には同じぐらいだし……、
 でもロビンスのデザイン、とてもかっこいいんですよね〜。

 本屋から出てくるところを、先輩・友達に多数目撃され、
 「お前は努力したらアカンって」と色々と言われましたね。

 努力。
 いい言葉じゃないですか。


04/10/18

 帰宅すると、まずハーブソープの香りに包まれる。
 家に芳香剤を置いているためだ。

 こういう無駄な出費は、嫌いではない。
 時々、無駄遣いしたい!という強烈な衝動に駆られる私にとって、
 500円そこらの芳香剤を買ってしまったことなど、不思議ではない。

 芳香剤を買ってしまったのは、今年の初夏。
 2ヶ月ほどの寿命しかないので、今のハーブ君は3代目である。
 出会いは衝動買いだが、いつの間にか欠かせない存在になっていた。

 1人暮らしのアパート。
 決して広くないその家にとって、
 ハーブソープは安らぎというよりも、過激な香りがする。
 私が帰宅すると、過激が出迎えてくれる。
 そのはっきりとした存在感が、私は気に入っているのかもしれない。

 1人暮らしにとって、この会話は存在しない。

 「ただいま」

 「おかえり」

 意味がない挨拶。
 ただのルーチンワーク。
 でも、この会話には、今自分の帰るべき場所に戻ったのだ、という
 確認と認識の儀式であったように思う。

 私にとって、今の帰属性確認は、過激な香り。
 香り、というものは面白いもので、出会い頭は強烈でも、
 数分と経たないうちに、その香りを意識しなくなる。
 生理学では、順応性、と習った。

 だから、香りほど、帰宅の挨拶に向いているものはない。
 家に帰ってきたときだけ意識させる。
 しばらくすれば、意識から遠のき、
 外出し、また帰宅すれば、またそれを意識させる。

 過激な香りで、私は今自分の家に帰ってきたのだ、と安心する。
 それが私の、ただいま、であり、おかえり、である。

 最初に買い始めた時期が夏だったため、
 無意識にハーブを選んでしまったが、
 これから寒くなる時期には、アップルカモミールがいいのだろうな、
 などと思いつつ、またハーブを買ってしまった。

 おかえり、と言ってくれる人はいつも同じ人であったほうが落ち着く、
 ということなのだろう……と納得してみたものの、
 最近の朝晩の冷え込みに、やはりハーブは危険だと思う。

 次買い換えるのはおそらく12月だ。


04/10/20

 特別、という概念が頻繁に頭を過ぎる。

 特別というのは、英語ではスペシャルであり、肯定的な意味を含むが、
 対義語はノーマルであるゆえに、
 アブノーマルとスペシャルには近いものがあると思う。

 アブノーマル。異常。

 特別な思い出、というのは異常な出来事に他ならない。
 「常」という概念があって、それと異なる数奇な運命に、
 人は「特別」を見出すのではないか。

 だから、特別というのは、肯定的な意味とは限らない。
 異常な悲劇もまた特別な思い出となりうるし、
 とにかく、日常から大きくかけ離れた出来事が特別なのだ。
 つまり、特別というのはいい意味にも悪い意味にも転がりえる。

 特別な人、というのもある。
 特別な人ととの思い出は、全てが特別となる。
 いい意味にも、悪い意味にも特別に。
 だから、特別な人というのは諸刃の剣である。
 ふとしたことで、私を救うこともあれば、
 ふとしたことで、私が切られることもある。

 だから時々、諸刃なその剣を鞘にしまいたくもなる。
 鞘にしまって、普通の変哲のない棒のように扱いたくなる。
 棒に魅力はないが、安全だ。

 しかし、剣もまた持ち主を選ぶ。
 いつまでも鞘に納められ続け、飾りとなりさがった剣は、
 近いうちに持ち主を見限ってしまうだろう。

 だから、諸刃の剣は、常に抜き身にしておかなければならない。
 ふとしたことで、私を救うこともあれば、
 ふとしたことで、私が切られることもある。
 そんな気持ちがいつまでもいつまでも。
 だから、特別な人、というのは中途半端な気持ちでは扱えない。
 それこそ文字通り「真剣」だ。

 今、私には特別な人がいる。
 やはり諸刃で、私はいつも二つの気持ちに揺れる。

 「ありがとう」

 「どうして?」

 でも、この剣を捨てることはできない。
 なぜならそれは、大切な大切な、もはや私の一部。

 だから、私は真剣なのだ。


04/10/26

 私は意外と脆いらしい。

 「意外と」というのは、私は自分が強いと思っていたから。
 孤独には慣れていたつもりだし、
 自分の能力も一般人に比べたらポテンシャル高いと思っていた。

 その気になれば、独りでなんでもできると思っていたから、
 独りであることに不都合も不安もなかった。

 でも、違った。
 恋を知り、愛を知ってから、
 私はどうやらその人なしには生きていられないらしい。

 常習性とか依存性とか、そう言うのだろう。
 今の私は確実に、その人がいないとダメになってしまう。
 壊れてしまう。

 いつまでも私のそばにいて、って言ってみて、
 それからその約束が場違いであることに気付く。
 問題はそうじゃない。

 私が、その人をいつまでも惹きつけていられるほどに、
 魅力的になればいいだけの話なのだ。


04/10/29

 最近の私にとって、インフレな言葉がある。

 「大好きです」
 「愛しています」

 インフレ。

 需要と供給メカニズムにより、
 景気過熱のときに起こりやすい経済現象なのだが、
 貨幣が大量に生産されたときにも起こる。
 貨幣が過剰になると、その価値は下がるのだ。

 私は愛する人に、この二言を毎日のように使ってしまう。

 「大好きです」
 「愛しています」

 そして、ふと思ってしまうことがある。
 言葉のインフレーションを起こしてはいないだろうか。
 愛を叫びすぎて、愛の価値が下がってはいないだろうか。

 しかし、それは全く的が外れた考え方なのだ。
 愛は叫べば叫ぶほど溢れるもの。
 今日もまた一つ、愛の言葉を囁いた。
 昨日よりもまた一つ、愛の言葉が積み重なった。
 昨日よりも今日、今日よりも明日。
 単調増加していくこの気持ちは、いつか無限大に発散する。

 無限大の気持ちを伝えるために、愛の言葉を紡ぎ続けよう。
 重ねて重ねて、それでもまだ物足りない。
 だから一生紡ぎ続けよう。
 昨日も、今日も。そして明日も。