03/04/01

 何をするワケでもなく、ただ街をぶらついていた。
 空は晴れていたが、俺の心は曇っていた。
 最近、俺は惰性で生きてるんじゃないのか?
 こうして街を歩いているのも、何かを捜しているんじゃないのか?
 俺は捜し求めている。何かを。何を…。

 その刹那。
 俺は不思議な違和感に襲われた。
 辺りを見渡す。
 灰色の人込みの中に、
 一人だけ色浮き立つ女性の姿。
 見たことはないと断言できるのに、何故か知っている。

 他人の空似か?
 それともデジャヴ…?

 しかし、そんなことはどうでもよかった。
 なぜなら。
 彼女は俺の顔を見た瞬間、俺から逃げるように走り出したのだ。
 俺は……。

 俺は何故か追いかけていた。
 走りながら俺は考えていた。自分が探していたもの。
 くだらない日常を破壊する暴力的な刺激。
 彼女は何かを知っている。
 それは、この世界の常識を遥かに凌駕した知識。
 俺は今、違う世界に旅立とうとしている。
 そう、それは。
 時計を持ったウサギを追いかけたアリスのように…。

 人気の多い街中からはすでに離れ、
 そこは裏通りの入り組んだ路地であった。
 そこで彼女は足を止めた。
 振り返る。

 「何故私を追いかける?」

 もっともな質問だった。
 しかし、俺に答えられるはずがない。
 俺もその答えが知りたくて追いかけたのだから。
 何故俺は追いかけた?
 いや、よく考えろ。
 問題はまだその次元に達していない。
 俺は根源的な質問を返した。

 「何故逃げた?」

 そう。
 逃げたから追いかけたのだ。
 別に逃げるもの全てを追いかけるワケではないから、
 追いかけた理由は他にも存在するのかもしれない。
 しかし、彼女が逃げた理由が分かれば、
 俺が追いかけた答えが分かる気がした。
 そして。

 「あなたが追いかけてきたから」

 どうしようもない答えが返ってきた。
 二人の鬼ごっこは、文字通りのイタチごっこへ。
 本当に……どうしようもない。

 俺と彼女の間に沈黙が流れる。
 所詮、日常は日常。現実は現実。
 虚無感に俺は呟いた。


 「アリス・イン・ワンダーランド……」 


 その瞬間、彼女の目つきが変わった。
 殺気。
 彼女は後方宙返りで俺との距離を広げると、
 懐から取り出した短剣を俺に投げつけたのだ。

 俺は前回り受身で間一髪回避。
 奇しくも中学高校で習った柔道が役立つとは。

 しかし安心はしてられない。
 彼女は懐から更に短剣を取り、接近戦を試みてきたのだ。

 俺は武器の代わりになりそうな物を探し、ポケットに手を入れた。
 ん?これは?
 それは今朝キオスクで買った「酢こんぶ」だった。
 これは使える。

 俺は酢こんぶを右手に勇猛果敢に短剣に立ち向かった。
 勝てる…俺は極めて冷静だった。
 俺は短剣の恐ろしさを十分知っている。
 しかし。
 彼女は酢こんぶの恐ろしさを全く知らない。
 勝機はまさにその一点にある。

 戦いは一進一退の長期戦となった。
 俺の酢こんぶもかなりヨレヨレしてきた。
 しかし彼女の短剣も、酢酸に侵食され始めている。
 このまま戦いを続ければ…。

 「もうやめないか?」

 俺は停戦協定を切り出した。
 このまま戦っても、その結果は共倒れ。
 それは困る。
 俺には…俺には、俺の帰りを待っているものがいるのだ。
 そう。
 ヨーグルトの賞味期限は今日までだ。

 「そうね。これ以上の争いはお互いにとって無意味だわ」

 彼女もヨーグルトか?
 いや、間違いなくヨーグルトだろう。
 それしか考えられない。

 「それにしても、何故俺の命を狙った?」

 俺はTIMの命ポーズを華麗に決めながら、彼女に尋ねた。
 しかし、その答えを彼女から聞くことはできなかった。
 突如として、黒いマントに覆われた大男が、
 彼女をさらっていったのだ。

 「コイツを返して欲しければ、今日午後8時までに
  デビルマウンテンまで来るのだ」

 俺は重大な選択に迫られることになった。
 彼女を助けるべきか。
 それとも。
 プロ野球を観るべきか。
 というか、俺が応援している時に限って阪神は負ける。
 なんだあの開幕戦は。
 全く、俺を使えば絶対に勝てた。
 そう。
 俺を主審に使ってくれれば。

 「今彼女を返せ!」

 俺は結局決められず、そう提案した。
 今返してもらえれば、阪神を応援できる。
 そして。
 彼女のヨーグルトも無事だ。

 「良かろう。我輩に勝てたらの話だがな」

 黒いマントの男は、不敵な笑みを浮かべた。
 変質者…それが奴の第一印象だった。
 あのマントの下には、何も着ていないに違いない。

 一瞬だった。
 俺は首筋に、一種の冷たさを感じた。
 膝の力が一気に抜ける。
 地面が自分に近づいてくる。
 焦点が定まらない。
 全身にぬるぬるとした感触。
 首は決壊したダムのように、血を吹き上げている。
 手足末端がピリピリする。
 でも俺は冷静だった。
 ドラマはこれからだ。
 走馬灯のように脳裏をかすめる記憶の欠片から、
 彼女の……。
 彼女の……。
 しかし思い出されたのは…別の…「あの人」だった…。


 アリスはウサギを追うのをやめた。


 俺は日常に戻っていた。
 何もなかったかのように回り続ける世界。
 しかし、俺の中で確実に何かが変わっていた。

 言うまでもないですけど、嘘ですから。
 エイプリルフールなんで、今日。