白い巨塔について
毒吐いてます…

 最初に断っておきますと、私は白い巨塔好きです。
 白い巨塔の特別版を昨晩見てました。

 一人の患者に末期癌の告知をするのに、医師が何時間もかけたりして。
 「話す」ことは確かに重要ですけれど。
 一人の患者相手に何時間も「話す」ことなんてできるほど、
 医者が余ってるのでしょうか。

 もちろん反語です。「いや、ない」の省略です。


 はっきり言ってしまいますとね。
 患者というのは、長く診察してもらえるとそれだけで喜ぶんですよ。
 逆に3分診療とかだと、不平不満を漏らすでしょ?
 重要なのは、診察時間なんです。
 医師と話ができれば、それだけで満足してしまうんです。

 ですから、
 「どうやったら、もっと素晴らしい医療になるのか?」というテーマで、
 「診察時間を増やしたらよい」という解答に至るのは、
 当然すぎて愚かでしかありません。

 また、これもまた当然なことですが、
 診察時間を増やすと、診られる患者の数が減るんです。

 結局、昨日のドラマで、
 「患者と納得がいくまで話し合った」という解決法は、
 当然過ぎる上に、実現不可能な、どうしようもない結論だということで。

 CO
2問題のためにはどうすればよいか、という問題で、
 「火力発電や、自動車などをこの世から消せばいい」と
 答えてるようなもんです。
 当然過ぎる上に、実現不可能で、こんなの解答とは言えません。


 さて、毒を吐くのはこれくらいにして。


 国公立大学出身の医師を一人作るのに、
 3000万円くらいの税金が使われます。
 そうして出来た医師が、「話す」ことに何時間も費やして…。

 国民が怒らないのなら、それでいいんですけれどね。
 「話す」ことをしてる方が、医師にとっても楽ですし。
 もし治療が失敗しても、「その治療法を選択した患者が全て悪い」と
 責任を押し付けることもできますし。

 これは極論なので、実際はそこまで淡白ではありませんが。


 治る見込みのない患者への治療。
 終末医療とか、ターミナル・ケアとか言いますけれど。
 告知したら、絶望するに決まってるんです。
 その絶望を受け止める必要はありますが、
 その受け止め役は医師である必要があるんでしょうか。
 絶望を医師として受け止めるんではなく、
 同じ人間として受け止めてあげるのであれば、
 受け止め役が医師である必要はありません。
 そのための、看護士なりカウンセラーなりソーシャルワーカーなり、
 そういうコメディカル・スタッフだと思うんですけれど。

 診察時間を増やしつつ、診られる患者の数も減らさないで、
 ということを実現しようとすると、
 どうしても医療の効率化が課題になります。
 コメディカル・スタッフにはもっともっと活躍の場を与えたらいいんです。
 告知に、何時間も医師が付き合うのは、非効率だと断言します。


 結局、最後まで毒を吐き続けましたね。
 いや、昨日のドラマの言い分も分かるんですよ。
 もし私が末期癌患者だったら、
 私のために何時間も話を聞いてくれる医師がいたら嬉しいですし。

 でも、どこかの何かと等価交換なんですよね。
 鋼の錬金術師みたいなオチですけれど。
 何時間も話を聞いてくれた医師のおかげで、
 その病院は人手が足りなくなって、
 他の患者さんは「3分診療」から「1分診療」になったりするんです。

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