さ ざ な み 国 語 教 室

「さざなみ国語教室」の発足

 1982年(昭和57年)3月、吉永幸司先生を中心に7名が集まって第1回例会が開かれたのが、本会の始まりである。

 会の代表であり、国語教育の指導者である吉永先生と、もう一人「応援団長」として会を支えてくださったのが、故高野倖生先生(1990年没)である。高野先生は滋賀児童文化協会を興し、自ら事務局長として、1961年以来、児童作文誌『近江の子ども』を発行されていた。高野先生の願いは、
 「滋賀県のすべての子どもが作文を好きになり、書くことを通して育っていくこと、そして滋賀の児童文化が高まっていくこと
であった。その延長線上に本会の成立もある。国語教師を育てることを目的に、『近江の子ども』の編集に関わっていた若手教師を中心に結成された。「さざなみ国語教室」という命名も高野先生によるものである。


6時間の月例会

 毎月第4土曜日の午後が月例の研究会である。年間の研究テーマに則って、同人の一人が実践を提案する。指導者のオリジナリティがあること、子どもの学びが見えることが提案の最低条件である。その後の協議はたいへん厳しい。よい点は認めるが、不十分なところはどんどん追求される。初めて参加してした者の中には、恐れをなして二度と来なくなることもある。しかし、会員から総攻撃を浴びるような提案であっても、その中からよさを見いだしてくださる吉永先生の温かさに救われる思いをすることも多い。

 月例会の会場は、滋賀児童文化協会事務局。大津市の琵琶湖畔にある高野先生の住まいである。(先生が亡くなられてからも、夫人の好意に甘えて拝借している)。3時から6時までが研究会。その後は夕食。酒も供される。食事をしながらの教育談義が9時頃まで続く。子どものこと、授業のこと、学級のこと、教育全般に関わること、コンピュータのことなど話題はさまざまだが、話が弾む時間である。疑問に思っていることを尋ねたり、悩みを相談したりすることもできる。研究協議とは別の意味で充実した時間である。

 もっとも、いきなり席題が出されて句会が始まることもある。座が静まり緊張感がただようが、合評会になると再びにぎやかになる。


機関紙「さざなみ国語教室」

 月例会と並んで活動の柱となっているのが、毎月の機関紙発行である。現在はB5版4ページ、同人の実践を毎月掲載している。第1ページには、国語教育だけでなく、幅広い分野の方々から寄稿いただいている。

 創刊第1号には、倉澤栄吉先生から「心臓のように」という文章をいただいた。その中の、
 「研究をし合う同志が少人数で、コツコツと続けていく。心臓のように絶えることなく進めていくのが実践家にふさわしい
という一節が、現在に至るまで本会の道しるべとなっている。

 機関紙の発行は、「書くことによって研究内容を高め、責任を感じる厳しさ」を身をもって体得するために、会の発足に際して高野先生が条件とされたものである。国語の授業を毎日していても、いざ書くとなると、書くに値するものはなかなか見つからない。また、1000字という限られた字数の中で、実践の意図とその実際を読み手にわかるように書くことは難しい。書き続けることによって鍛えられ成長したと感じることも多い。


ホームページの開設

 1998年10月からホームページを開設し、機関紙の発行と同時にホームページにも掲載して、より多くの方々に読んでもらえるようにしている。研究会の開催案内などもお知らせしているので、それを見て参加される方もある。教育関係のサイトからのリンクも多くなり、励ましや質問のメールもよくいただく。

 インターネットの普及に伴って、機関紙の原稿についても、手書き原稿の郵送から、フロッピーの郵送になり、今ではメールでの送付に変わってきた。新しいことにチャレンジし、どんどん取り込んでいくのも本会の特色の一つである。


合同研究会と公開研究会

 本会は、会員が十数名という小さな研究グループである。広く勉強の場を求めて、他の研究グループとの合同研究会にも積極的に参加している。

 また、県内の国語に関心の深い先生方に呼びかけて実行委員会を作り、毎年2回、2月と7月に 「新しい国語の授業」研究会 を開催している。


公刊図書

 『第一次感想の効果的な書かせ方・生かし方』(1986 明治図書)以来、「大造じいさんとガン」「モチモチの木」の全授業記録、短作文の事例集やワークなど、実践の記録をまとめてきた。書くことはつらい仕事だが、会員個々の力になったと感じる。
 最新刊は、『伝え合う力を育てる短作文の指導』(2000 実践国語教育別冊)である。
(常諾真教)
(「実践国語研究」 (明治図書) 2001年8・9月号より)