巻頭言
さざなみのしがつの子ら
倉 澤 栄 吉

  楽浪の志我津の子らが罷道の川瀬の道を見ればさぶしも

 柿本人麿の挽歌の一つである。(萬葉集 巻二 二一八)
 ご承知のように人麿はたくさんの挽歌を作っている。志我(滋賀)で詠んだ歌が多い。右の和歌も大津のあたりに住んでいた吉備津采女の死を悼んだ作である。黄泉の国へみまかる(罷る)道−−まかりぢ−−へ行く。親愛感をこめながら萬感の思いで川の瀬をわたって送ってゆく人。私は、観音寺のあの家から、疎水の瀬の音を聞く思いで、この歌を誦んじている。

 斎藤茂吉は、超ベストセラー『万葉秀歌』−−岩波新書 上下巻合わせて百万部を超える−−の中で、右の和歌を評して「この歌は不思議に悲しい調べを持って居り全体としては句に屈折・省略等も無く、むつかしくない歌であるが不思議にも身に沁みる歌である」と述べている。不思議にという言葉を繰り返しているところに、茂吉の共感がこめられている。私は故高野さんの長逝に接して、不思議に、尽きることのない悲しみに浸っている。静かな、身にしみる悲哀である。

 途方にくれるとは、このような心境を言うのであろう。吉永さんは、私への手紙の中に「多くの人が頼りにしておりましたので、どのように立ち直っていくか、重荷がずしんといたします」と書いてこられた。安田直次さんの、詳しい書簡にも、打ちひしがれた思いが、読みとれて、今さらのように大きな人物が消えてしまった時のやる瀬ない想いが湧き起こってくる。

 頼りになる人材が去った直後というのは、いつも誰にも、こういう思いを誘うものだろうか。近来親しい人々が、しかも有能にして私などよりはるかに若い大事な人が、身近から何のあいさつもなしに、再び相見ることのない遠くへ行ってしまう。人麿の、

  秋山の紅葉を茂み迷わせる妹を求めむ山道知らずも (巻二 二〇八)

の歌の通りである。つまり、途方にくれて亡き妻を求めている状態と同じである。近江には、知人が多いが、高野さんとは、取りわけ親しくさせて頂いた。一しょに琵琶湖をめぐった折、暮れなずむ、人気のない竹生島で、最終便を待ちながら、静かな湖を、二人で眺めていたあの時を、そしてその声を、思い出している。力強い声だったのだが……。   合掌
(日本国語教育学会会長)