巻頭言
成長の季節
杉 中  巧

 雨の連休をくぐり抜け、しばし快晴の日が続く。窓の外は湧きあがあような新緑。わか葉を透けて陽光がこぼれる。わたしの好きな季節である。まぶたを洗われるような色彩と微妙な変化の感触が、生気の鼓動を伝えてくれる。それは、子どもたちのもつ本来の表情や動きが与えてくれるものと同質のようである。学校というところには、成長しつつあるものの集団が醸し出す、みずみずしく、やわらかで、色とりどりの張りのあるキラメキ…といったふん囲気が充満していて当然、と思うのだが、昨今はいかがなものか。

「さざなみ国語教室」の誕生を喜ぷ。自分の意志で足を選び、互いに己れを吐露し合い、見つめあう、そうした緊張のひとときに魅力を抱く同志の集い、そのような若人の存在することが、何よりも嬉しい。新緑の反射光を浴びながら、会合の情景を想像していると若い頃がなつかしく蘇ってくる。この年令になっても、わたしの体内には、当時の探究癖・好奇心みたいなものが、今もなお、くすぶり続けているようだ。萌え出ずるものへのしょうけいの思いは、己れの限界を意識するにつれて、成長する世代への願望に移行する。この集いの<これから>に期待して一言。愚痴や説教めいた意図は更にない。

 既存の慣習や形態にとらわれぬ探求、発見、相互形成の場でありたい。自説を他者の安直な援用で賂うことなく、おのおのの感性・知的センスをフルにはたらかせ、その実感を尺度に自らのことばで表現したい。既有の知識や論理の雑然たる同期、諸概念の漫然たる所有を洗い出し、無意味なもの、空虚なものを払い落し、借り物に依存する安易さを捨てたい。

 子どもたちと共に進むもの特有の境地を、他者の眼を借りずに見つめよう。自分たちが心底から納得できる論理や手法を模索しよう。はじめのうちは、たとえ小さく狭くヤワであっでも、やがて、徐々にではあろうが、自分たちの眼・自己の発想が、意外なたしかさと独自の産出力を所有しつつあることに気付かれることだろう。
(滋賀女子短期大学附属園長)