巻頭言
夏 の 日 に 
青 木 千 波

 プールサイドまで届く水しぶき、入道雲がが躍る七月。昨年コロナ禍で開催できなかった水泳学習を行った。特別支援教育に携わって五年、毎日子どもたちの素直な心に驚かされる。

 今年、特別支援学級五組には、一年生が入学し、四月久しぶりに「はなのみち」の授業を行った。改めて挿絵の素晴らしさに気づかされる。春の池には、冬の挿絵に登場しないおたまじゃくしや蛙が描かれ、ちょうまで飛び交って春を演出している。しかし、「おたまじゃくしだね。」と語りかけてもぴんとこない様子。見たことがないのである。

 そこで私は、家の近くの用水路から生き物を捕まえて見せてあげることにした。ざりがにやおたまじゃくし、どじょうなど春や夏の生き物が勢ぞろいした。
「おたまじゃくしの色がちがう。」
「一本しかはさみがないざりがにがいる。」
など、毎日、発見の連続だ。図鑑を読み聞かせて気づいたのだが、ざりがにが片手なのは、『自切』という行為であった。

 子どもたちは、気づいた疑問を解決できたとき、次の知的好奇心を高める。三年生の男子は、家から生活科の教科書を持ってきて、ざりがにの飼育を始めた。六年生の女子は、以前読んであげた「ざりがにのおうさままっかちん」のお話を思い出し、本棚から取ってきて、もう一度読んでいた。集団での学びは、常に連鎖し、広がっていく。

 ある日、一年生の男の子がシャキン、シャキーンと言いながら水槽をのぞきこんでいた。しばらく黙って様子を見ていると、どうやらざりがにが、水面からはさみを出して威嚇しているシーンに出くわしたのだ。そして、はさみを動かす様子を言葉で表現していた。直接目に触れたものが子どもの心を動かし、新しい表現が生まれた。後日、男の子は、「ざりがにのたたかい」と題して短い詩を書いた。

 雨上がりの休日、田んぼの用水路から抜け出したのだろう。一本の手を振りかざしたざりがにを見つけた。ざりがには、片手を振り上げ、どんなことにでも立ち向かって挑戦する勇者の風格だ。未来に向かって今を力強く生きる子どもたちの姿と重なる。傍らには、そびえ立つ一輪の向日葵。その子どもたちに、負けてはいられない。あの向日葵のように、子どもたちに寄り添い、挑戦を続け、共に生きていこう。
(埼玉県春日部市立武里西小学校)