1人称の物語
川 端 由 起

 国語の最後の単元「カレーライス」を先日学習し終えた。この作品は、教科書改定前では、6年生の最初に学習する物語作品であったが、教科書改訂後は、5年に降りてきた。作者は重松清さん。人の心の機微を描いたら、この方の右に出る人はいないのではないだろうか。それほど、上手く心情を描き出す人である。私は恥ずかしながら、それまで「カレーライス」を読んだことがなく、5年生になって初めてこの作品を読んだ。言うまでもなく、重松さんの作品は何冊か読んでいるが、改めて教科書に出てくる作品として読むと、不思議な感覚が襲ってきた。

 4月に学習した物語「名前つけてよ」の書き出しは、学校からの帰り道のことだ。牧場のわきを通りかかったとき、春花は、そこに見慣れない子馬がいることに気がついた。という書き出しで始まるが、「カレーライス」は、ぼくは悪くない。だから、絶対に「ごめんなさい。」は言わない。言うもんか。お父さんなんかに。という書き出しである。この小説はぼくが語っている、いわゆる1人称だと気が付いた。もしかして、1人称は、この小説が初めてではないかと思い、1年生から4年生までの光村の教科書を調べてみると、確かにそうであった。はたして児童は気づくのであろうか。通読の段階で、「児童にこの物語は、今までの物語と大きく異なるところがあります。どこかわかりますか。」と問うた。出てきた答えは、「ファンタジーではなく、現実的。父と子の愛情物語。」など、物語の良さを理解できてはいるが、中々出てこない。私は、この物語は、ひろしが自分目線で語っていく「1人称」の物語なんだ。ということを伝えると、児童は最初は「?」という表情であった。だから、4年生のデジタル教科書を再度一緒に見つめてみた。「白いぼうし」「一つの花」「ごんぎつね」「プラタナスの木」4作品を見ることで、「カレーライス」の作品の特徴が、はっきりと理解できた。児童の顔もすっきりしたようだった。

 そして、2次では、主人公をひろしではなく、お父さんに変えて物語を作ってみた。最初は戸惑いを見せた児童であったが、取り掛かると、「あ、このセリフはお父さんから見るとこうだよな」とか、楽しそうに取り組んでいるのが伝わってきた。この時間の振り返りで、男子児童が、「視点が変わるだけで、全然違う物語になったので、おもしろかったです。」と書いてくれとた。4年生までは、物語といえば心情理解に力点を置いていた。今回は、「作家で広げようわたしたちの読書」の単元の中で、重松清さんの「カレーライス」という作品を読む、という位置づけである。なので、作品の楽しさ、重松清さんの発想の豊かさを児童に知ってほしかったから、主人公を変えて物語を作るという学習ができた。これからも、児童が主体的に活動できる学習を考え、提供していきたい。
(草津市立志津小)