巻頭言
歩 く と 見 え る
植 木 政 隆

 全国各地を約四千qの歩き旅と、主にアジア各国を十九回旅を致しました。ゆっくり歩くと見えて来る世界が広がります。

 知らない所を歩いて感動をしたり、大雨や暑さ寒さを我慢したり、足が痛くて前に進めなかった時も有りました。自分の知っている常識が行った先では非常識の時や、非常識と思い込んでいた事がそこでは常識の時も有りました。また家の近くのいつもの道は余裕を持って歩け、昨日とは違う何かを発見する事も出来るのです。

 季節や天候・時間帯、その時の自分自身の気分でも見え方変わります。歩くと目の前の風景だけでは無く、自分自身の心の内側まで見えて来るのです。角度や高さを変えて見たり、有り得ない事ですが動物・自然・物や出会った相手だったら、何を見ているのだろう……と考えてみるのも面白いものです。その事をメモやスケッチにしたり、写真に残す等で味わいも深まるのです。

  「みんな輝いている」

 歩くという文字を見た時「少し止まる」と書きますが、歩いてばかりではなく少し立ち止まって周りを見渡すと、今まで気付かなかった輝きにも出会えるのです。それには、自分中心の考え方・計らいや先入観を取り除き空っぽの心で見る事で、より輝きも増して来るのです。

 歩くと本来輝くべきはずなのに、何かが邪魔をして輝けずに居る存在と出会う場合も有ります。ゴミのポイ捨て、自然破壊、温暖化、悪口(誹謗中傷)やいじめ。デジタル化が進む事で、便利な生活には成りましたが他人を傷付けたり詐欺も多発しています。

 学校や社会で学ぶとは何かと考えた時、何も知らなかった私(自分自身)で有ったと気付けかせて頂く事かと思います。思い上がりの心が出て来ると、物やモノ事が見えなく成るのです。話を元に戻しますが、歩いたり立ち止まったり考えたりしながら見ると、様々な立場も見えて来るのです。そこから行動へとつながるのです。

 人生の道を歩くと、思いがけない出来事と遭遇する事も有ります。豊という文字を見た時、豆が曲がると書きます。豆はポール等に添って上に伸びますが、何かに当たれば曲がって上へと伸びます。またポールが無ければツルを出して互いに支え合います。

 私達も、こんなはずでは無かったのに…と愚痴の人生ではなく、こんな事が有ったからこそと言える人生の道を歩きたいものです。豆のようにヤワラカイ心こそが、本当の豊かな心なのです。
(大阪府 速證寺 住職)