▼詩集『野っ原の子』が500号の記念出版をされました。昭和33年(1958年)の第1回例会からら今日まで。そして、これからへと続くための記念詩集です。

▼「野っ原詩の会」の背骨となったのが高野良吉先生(元埼玉県国語研究会長)の作文に対する次のお考えです。「行動心理学をもってしても解釈できない子どもの心を、作文はグラスファイバースコープで体内の隅々をのぞくように鮮明にとらえてしまいます。しかし、作文が書けなくてはどうにもならない。作文力を持たない子どもは、翼を使えない小鳥も同然だ。訴えることも、自分を解釈することもできないのだから国語の時間はもとより、あらゆる機会をとらえて「作文すること」を取り入れてほしい(作文は子どもの心を覗くメガネ)」

▼昭和33年というと戦後13年です。書くことの研究についてはこれからという時代です。滋賀では地域文集「「近江の子ども」が創刊した頃です。その後、その時代の研究や実践が今日に引き継がれています。子ども理解が教育の生命線とすれば、書くことの指導は、より子どもに寄り添い、近づくことが大事だということは、いつの時代でも変わらないものです。

▼「野っ原」の命名も「田んぼの中の火山脈になれ」という高野良吉先生のお言葉とか。500号が輝いています。 (吉永幸司)