「花畑は悲しい所」
岡 嶋 大 輔

 三年生の教室。「ちいちゃんのかげおくり」(光村図書三年下)を扱い、場面を比べて感じたことを出し合ったりまとめたりする学習をした。
 単元の後半、第四場面「きらきらわらいだしました」と第五場面「きらきらわらい声を上げ」とを比べて気付いたことを出し合った。「第四場面ではちいちゃん、第五場面ではお兄ちゃんやちいちゃんぐらいの子どもたちがきらきら笑っている」といったように、どんどんその違いが出された。

 途中、場所の違いについても話題にあがった。
「場面四の場所は花畑で、場面五の場所は小さな公園です。」
「私は、花畑は天国と言いかえてもいいと思います。」
「場面四の花畑は悲しい所で、場面五の公園は楽しい所です。」
「えっ、花畑は楽しいところじゃないの。」
「ちいちゃんは、楽しかったり嬉しかったりするからきらきら笑っているのでしょ。」
「家族とやっと会えたのだから、嬉しくてきらきら笑いだしたのだと思います。」

「花畑は悲しい所」という意見が押され気味ではあったが、
「読んでいる人が悲しい。」
という発言があった。そして別の子が、
「ちいちゃんは、家族に会えたと思って嬉しいのだけど、本当には会えていないし、命がきえるのだから、やっぱり悲しい。」と続けた。
 私は、「ちいちゃん」「読んでいる人(読者)」の二つを並べて板書し、それぞれの気持ちとその理 由を確認してまとめた。ちいちゃんは「うれしい」「幸せ」といった言葉、読者は「かなしい」「かわいそう」といった言葉が出された。

 初発の感想では「最後に家族に会えてよかった。」といった感想が圧倒的に多かったが、授業の最後に書いた感想では、「家族みんなの命がきえたのに、家族に天国で会えてうれしそうなちいちゃんを見てかなしいと思った。」
「ちいちゃんがよろこんでいてよかったと思う気持ちと、本当は家族と生きて会える方がいいという気持ちとがまざっている。」
といったように、中心人物への感情移入だけでなく、「その人物をみてどう思うのか」と読者の視点からも書かれているものが多くあった。

 異なる場面にある同じ言葉を比べることで、その言葉の奥にある意味を読み取ることにつながった。そして、読み取った意味を出し合うことで、そこにもまた違いが生まれた。その違いを分かり合おうとするところに、新たな視点を獲得する学びがあるのだなと感じた授業場面であった。
(野洲市立北野小)