巻頭言
「考えるということ」
谷 岡 晃

 七三歳の誕生日前に、二度目の本棚の整理をした。残すことにした『家の中の広場』を改めて読み返した。
 見返しに、谷岡晃様鶴見俊輔とサインがある。一九八二年四月二十五日第一刷発行。発行所は編集工房ノア。
 トップに「考えるということー言葉はうき上がるけれども」が掲載されている。(初出一覧には未発表とある。)
 私が光村図書の小学校国語教科書編集部に在籍していた時に、六年生教材として書き下ろしをお願いして書いてもらったものだ。
 入社して数年しか経っていなかったが、説明文部会のチーフとして、編集委員の先生方と数名の部員とで、新教材発掘に格闘していた。
 そんななか、京都のお宅に伺って、原稿執筆をお願いしたのである。(お昼にご馳走になった紅茶とビスケットの美味しかったことが忘れられない。)
 当初、小学生向けに文章を書いたことはないからと執筆を渋っておられたが、先生のお子さんにわかるように書いていただければと粘った末の作品である。
 しかし、編集会議では、難しすぎる。中学生でも無理だということで却下された。やさしい言葉で書かれてはいるが、六年生には理解できないだろうと私も正直思った。が、この作品を読んだ子供たちに、成長とともにジワリと効いてくる栄養素が詰まっているという確信もあった。
 そこで、各地の先生方に実験授業をお願いし、その反応を改めて編集会議にかけてもらった。
 やはりボツであった。
 難しいということでは、賛否両論があった「やまなし」が教材として採用されたので、なおさら悔しかった。
 一方この時期、書き下ろしを依頼して出来上がった「自然を守る」(伊藤和明)は好評で、光村の説明文教材の顔にもなった。

 十数年が過ぎて、私は小躍りした。長男が高校へ入学して、見せてもらった筑摩書房の国語教科書のトップに「考えるということー言葉はうき上がるけれども」が掲載されていたのである。
 ついに日の目を見たのです。編集者冥利に尽きるとはまさにこのことでした。
 先日、『鶴見俊輔伝』(黒川創)を読んでいたら、当時小学生だった一人息子の太郎さんは、我が母校、早稲田の教授になっていた。