▼「れる」「られる」が話題になって久しい。「ら抜き言葉」であるが、そのことが通じない人に説明すると次のようになる。「明日、十時に来られますか?」と言っていたものが、「明日、十時に来れますか」と変化した言葉を「ら抜き」と言い、賛否を含めて意見がでている。類語には、「食べられない・食べれない」がある。今は、普通に「寝れる」「起きれる」も本来は「寝られる・起きられる」である。

▼言葉を含めて文化は時代とともに変わっていくもの。時代が緩やかに流れている時は、課題を議論し、変化を自覚することができたが、最近は、そうではない。情報化というスピードの中で、学校文化も変わってきている。

▼「せんせい、あのね」といえば、だれもが低学年の日記を思い浮かべる言葉であり、その頃は、一枚文集、学校文集が子ども理解や授業づくりの基盤にあった。おそらく、「ら抜き言葉」が普通のように、「せんせい、あのね」という日記の代名詞のようなものがあったということは忘れられていくのだろう。

▼学校文化が時代とともに変わってくるのは当然としても、学校が目指すものは、未来に生きる力としての人間力育成は普遍である。気が付いたら、学校文化が変わっていたのではなく、「子どもにとって大事なこと」の見方が変わっているのであろう。(吉永幸司)