巻頭言
野村芳兵衛の綴方教育を通して考える現代の学校教育
冨 澤 美 千 子

 野村芳兵衛(1896年-1986年)は、私立池袋児童の村小学校(1924年4月-1936年7月)において訓導と主事を務めた、大正自由教育の代表的実践家である。野村は、1929年に創刊された雑誌『綴方生活』の同人であり、当時の綴方教師たちに多大な影響を与えたことでも有名である。

 野村は、学校教育における教科学習は、「読書科」と「生活科」の二つの枠組みに分けられると考えた。「読書科」は「大人の文化の伝達」、すなわち知識をつけることであり、教科書がある「本を読む学習」である。「生活科」は「子どもの文化の観察」、すなわち自分で経験して考えることであり、教科書がない「本を作る学習」である。

 1910年以降、日本に綴方教育が現れ、多くの教師たちがこれを教育方法として取り入れていった。その目的は大部分、文章表現の指導であった。そのため、綴方教育は、国語科綴方の時間に行われることとなった。野村の言葉で言うと「読書科」である。しかし野村は、文章を綴る綴方教育は、「生活科」であると考えたのである。

 野村は、「綴文以前に綴文欲求がある」と述べている。つまり、書きたい気持ちが子どもたちに生じることが大事だと考えた。その綴りたい気持ちは生活にある。彼は、「生活のおもしろさが、直ちに文のおもしろさになる。従って、おもしろい文が書けるかどうかは、一におもしろい生活があったかどうかにかゝってゐる」と言う。特に低学年の子どもたちは、「生活欲求」と「綴方欲求」とが密接な関係にあることを主張した。また学級の中で書きたいという気持ちは高め合うものであり、一人一人ではまるで「鉢植の植物」であるところを「学級という仲間の生活土壌」へ下ろしてやることが必要であると言う。そのために野村は、「先づ最初に子供達に語らせる。話しかける。そして聞く。聞きながら、又問ひかける」とするのである。落ち着き安心して「綴方欲求」を持つためには、「話すこと」から「書くこと」へと発展させる学級の「仲間作り」が重要であると考えたわけである。

 現代の学校教育は、野村の言うような「読書科」と「生活科」のバランスが崩れているのではないだろうか。教師と子どもたちが一緒に「本を作る」ことや、子どもが自ら自分の「本を作る」時間がどれだけあるのであろうか。学校でしか実現できない教育についてあらためて考えていきたい。
(横浜美術大学 教育課程)