す み れ 草
好 光 幹 雄

 大津市の給食の食器にも印刷されている通り、叡山すみれは大津市の花。世界的に著名な植物学者、牧野富太郎博士が比叡山で発見し命名した花です。そんなすみれのゆかりの地、大津の山里で詠まれ皆さんもよくご存知の俳句があります。

山路来て 何やらゆかし すみれ草  松尾芭蕉(野ざらし紀行)
〈句意〉京都から逢坂山の関を越え、山道を大津へとやって来た。そして、ふと足下を見れば、そこにはなんと趣のあるすみれが咲いていることか。
 教科書にも載る皆さんもご存じの俳句です。しかし、教科書のこんな解釈では、ただの駄作です。名句でもなんでもありません。と、私は考えています。
 問題は、@なぜ「山路来て」なのか。そして、Aなぜ「何やらゆかし」なのか。なのです。

 俳句は、一字一音でもゆるがせにできません。「山路来て」は、大切な五・七・五の上五を使い切ってしまっています。
 どうしてそこまでして「山路来て」と詠んでいるのでしょうか。
 つまり、この「山路来て」は山道を歩いてきた行程を説明しているのではなく、「山道を歩いてきた、たった今、ここで」ということを表しています。
 実は、山道を歩いてきたことなどはどうでもいいのです。山道を歩いてきた「今、ここで」という、時と場所が大切なのです。言い換えれば、「山路来て」は、芭蕉にとって、忘れられない思い出の場所と時を表しているのです。問題は、なぜ思い出の場所と時になっているかです。

 Aでは、なぜ「何やらゆかし」と詠んだのでしょうか。芭蕉は全国を行脚した旅慣れた俳人。山里に咲く花を見て、美しいと思うことは日常茶飯事。今歩いてきた山道にも至るところにすみれの花が咲いていたはず。なのに、なぜ今、足を止めてすみれの花を「何やらゆかし」と詠んだのでしょうか。なぜすみれの花が特別に「何やらゆかし」なのでしょうか。
 まとめれば、山道を歩いてきた芭蕉は、大津の地に来て、何とも趣のあるすみれに出合ったとなりますが、しかし、そんな特別なすみれなどあるはずがありません。
 芭蕉が出会ったのは、実は、すみれではなかったのです。
 もう、ご想像の通り、芭蕉が出会ったのは、一人の女性だったのです。その女性のことをあからさまに言うのではなく、「何やらゆかしい」すみれとして喩えて詠んだのです。
 和歌にもよくある手法で、魅力的な女性を花に喩えて詠んだのです。芭蕉にとって、心の中で生涯色褪せない美しく清楚は花、つまりすみれに託して詠んだのです。そのように解釈して、もう一度俳句を味わってみてください。

山路来てやらゆかしすみれ草
〈句意〉京都から逢坂山の関を越え、山道を大津へとやって来た。ふと気づけば、そこには、なんとすみれの花のような奥ゆかしく清楚な女性が私を待っていてくれたことか。私は、生涯この女性のことを決して忘れはしないであろう。
 生涯、恋や愛について詠んだ句が少ない芭蕉ですが、この句は特別です。
「山路来て」も「何やらゆかし」も、実は、芭蕉の心の奥に秘めた情熱的な恋心の表現だったのです。と、私は考えています。
(さざなみ国語教室同人)