第4回「近江の国語実践研究会」報告 〜深く学んだこと〜
弓 削 裕 之

 第4回近江の国語実践研究会では、参会者の先生方と一緒に教材研究をさせていただいた。選んだ教材は、『じどう車くらべ』(光村図書1年下)である。

 以前、さざなみの例会で、教材文研究の大切さを教わった。『じどう車くらべ』の文章をノートに視写し気づきを書き込んでいくと、様々な発見があった。例えば、この説明文は自動車の「しごと」と「つくり」について分かりやすい構成でまとめられているが、実は「つくり」という言葉は一度しか出てこない。「しごと」はその言葉を手がかりに該当箇所を見つけることができても、「つくり」は同じようには見つけられない。しかし、よく読んでみると、「そのために」という言葉の後に必ず「つくり」についての記述があることに気づく。この言葉が「つくり」を探す手がかりになるのだ。大事な言葉を教師が把握していれば、子どもたちの発言を聞き逃すことこともないし、穴埋めワークシートを作る際などに活きてくる。逆にこういったことを教師が知らなければ、どれだけ教材文が分かりやすくても、発問によって子どもたちを混乱させてしまいかねない。文章教材を扱う場合、教師による教材文の読み込みが大切であることがよく分かった。

 また、本研究会において複数の目で教材文を読むことで、一人で読んでいても気づかなかったことも見えてきた。「“その”は何を示しているのか」「“ざせきのところが、ひろくつくってあります”とあるが、座面が広いという意味か、それとも座席スペースが広いという意味か」など、言葉にこだわると次々と疑問が湧いて出てきた。特に興味深かったのは、教材文の題名にも登場する「くらべる」という言葉である。「くらべてよむ」という言語活動は単元を通してのめあてにもなっているが、本単元における「くらべる」は、例えば「乗用車とトラックの二車を比較する」ことをねらってはいない。指導要領にも「共通・相違」という言葉があるように、「くらべる」とはこの場合「似ているところや、違っているところを探す」意味として使われているのだ。「くらべる」という言葉を教師が勝手に解釈し、深く考えることなく授業に臨んでしまったら大変だ。「この勉強での“くらべる”とはどういうことか」を子どもたちと共通理解して学習を進めていかなければ、それぞれがばらばらのゴールに向かって歩き出してしまう。「みんな分かっているだろう」と教師が安易に判断せず、スモールステップで子どもたちの学習状況を確認しながら、みんなでゴールを目指したい。

 その他にも、いろいろな角度から教材研究が行われた。挿絵を活用した学習の工夫(挿絵を使って自動車の仲間分けをしたり、挿絵に部位の名称を書き込んでいったり、挿絵と文章を対応させたりする活動など)も教えていただき、挿絵が子どもたちの「読みの一助」になることを再認識した。また、教科書にならって文章を書くことはできても、実際の図鑑から「つくり」「しごと」を見つけることが難しいなど、「じどう車ずかん」を作る上での課題についても交流させていただいた。出口では、「読む力がついたから書くことができた」ことを評価する。読む学習と書く学習が乖離してしまわないよう、子どもたちの言葉の力がどちらに向かって育っているかを慎重に見ていかなくてはと感じた。
(京都女子大附属小)