この子さえ・・・
好 光 幹 雄

 「この子だけは、…好光先生、誰でもいいから他の子と交換してくれませんか…。」
 私は、耳を疑いました。一瞬訳が分かりませんでした。でも、その先生は同じ事を二度、三度も言いました。情けなかったです。これが教育者の言うことかと。
 17年近く前のことです。4月当初、同じ学年を持つ5人の先生と、誰がどのクラスを持つかの話し合いをしました。当時、私は学年主任をしていました。例年通り、若い者、経験の少ない者から負担が少ないクラスを持つように決め、私は一番最後に残ったクラスです。では、これで1年頑張っていこうと思ったときでした。先のようにある先生が言ったのです。私よりも5つぐらい年上のベテランの先生です。

 交換して欲しいと言った子は何かに付け問題を起こす子でした。私が1,2年を受け持ってきました。確かにそれはあります。しかし、それは、彼なりのアピールです。決して恵まれていない家庭環境、そして生育歴、そういう事を合わせて考えれば、彼の行動、心の寂しさ、安定しない情動は当然なのです。それを物を交換するかの如き、交換して欲しいと言ったその先生の言葉が悲しかったのです。

 私は、私で、若い者に負担をかけないように手のかかる子をこれでもかというぐらい最大限私のクラスに入れていました。ルールだからと言って、その先生に断ろうと思えば断ることは出来ました。しかし、それなら、この子はどうなるのでしょうか。
「この子さえいなければ…」
と思われて、1年も2年も過ごすのでは、あまりにもこの子がかわいそうです。私は何も言わず宝物が私の手の内に戻ってきたかのようにこの子を迎え入れました。勿論、その先生を皆の前で非難することもしませんでした。
 ただ、見ていろ、誰にも後ろ指の指されない立派な子に育ててみせてやると思いました。

 寂しい彼には、人から信頼されることが大切です。つまり、自分が人の役に立っている。自分も相手にとって大切な存在である。そのようなことを繰り返し、繰り返し積み重ねていくことが大切です。所謂、「自尊感情」(セルフ・エスティーム)というものを彼の心の中に芽生えさせ、育てなければなりません。しかし、言うことは簡単ですが、実行することは難しいのです。

 私がいつもこの子のバロメーターにしていたのは、彼の笑顔です。小さな用事でも彼に頼み、してくれたら「ありがとう」と少し大げさに褒め、そして私もにっこり笑う。随分昔の彼の笑顔が忘れられません。褒められて照れくさそうにしていた彼の笑顔が。とても可愛い笑顔です。
「この子さえ…」と思うか、
「この子こそ…」と思うか。
いつも試されているのは、子どもではなく、教師なのです。
(さざなみ国語教室同人)