巻頭言
土いじりが教えてくれること 〜子育てとの共通点〜
阪 上 由 子

 母の長年の趣味は土いじりで、園芸仲間だけでなく、近隣の農家さんにも一目置かれる存在だ。私も約十年前の大病を機に母の手伝いを始め、畑仕事の奥深さに今ではすっかり魅了されている。元々は読書や芸術鑑賞などが趣味のいわゆる「インドア派」だった私にとって、土いじりは鈍りがちな体を動かす貴重な機会だ。今借りている畑は比良山の麓、琵琶湖を見下ろす風光明媚な場所にあり、山の色調や、吹き下ろす風の変化に季節の移ろいを五感で感じつつ、土と戯れている。

 残念なことに、今年は十月末の二度にわたる台風襲来で冬野菜の苗があらかた失われた。荒れた畑に聊か気落ちしつつ、ふと気づいた事がある。この暴風雨のなか生き残った苗はみな成長が芳しくなかった小ぶりのものばかりなのだ。外観が立派な苗は暴風で根が浮き、なぎ倒され、その後の虫害で立ち枯れてしまっていた。「一見健やかに成長していた苗は、その大きさに比べ根の張りがまだ不十分で、暴風に耐えられなかったのだろう。季節外れの台風さえ来なければ、根も張り、大きく育っただろうに。」というのが母の見解だ。

 そんな母の言葉を耳にし、しみじみ土いじりは子育てと似ていると感じた。同じ時期、横並びに植え、同じ量の肥料を与えてもその育ちはまちまち。時に先祖返りでもしたのか、外見の異なるものが混じる時もある。母が野菜と向き合う姿勢はその育ちの違いを見極めて、適切な時期に適切な方法で成長を支えることが肝要なのだと教えられた。今回の台風を人生の試練に例えると、外観は頼りなくとも、土深く根を張れていれば、少々の災難にはびくともしないことを野菜達は教えてくれた。

 私の外来には様々な生きづらさを抱えたお子さんが来られる。個々の生きづらさが何に由来するのか、子どもの代弁者となるべく、情報を集め、仮説を立てる。その仮説に基づき有効であろう対策を親御さんや学校の先生方に提案する。その提案が適切であったかどうかはその後の子ども達の育ちが教えてくれる。居場所が見つかり、根を深く張る事が出来れば、子どもは見違えるほど生き生きする。日々の診療を振り返り、実は趣味の土いじりと相通じるものがあるのだと改めて感じた。

 今回、このような機会をお与え下さった吉永先生にこの場を借りて深謝申し上げます。
(滋賀医科大学小児発達支援学講座)