全国文学館めぐり(8) サトウハチロー記念館・叱られ坊主
北 島 雅 晴

 JR北上駅を降りると、ゆったりと流れる北上川を望むことができます。北上川沿いに、ふだんは鳥のさえずりの他は何も聞こえない静かな公園があります。4月中旬にはソメイヨシノの並木道ができ、多くの花見客で賑わいます。
 サトウハチロー記念館及び並木道を含めた17ヘクタールの地域は、北上市の都市計画事業として、平成12年から12年かけて整備されました。「歴史ある桜並木を継承する空間」「四季のうつろいを楽しむ空間」等、いくつかの空間で構成された公園の一角に当記念館があります。

 記念館を訪れるまでにサトウハチローの年譜を調べたところ、本人と岩手県北上市との関わりは一切見つかりませんでした。どうしてこの地に記念館が建ったのか、ずっと疑問に思っていました。その答えが記念館入り口の所で説明されていました。(その答えはやや複雑なのでここでは省略します。当記念館を訪れた時に確認してください。)

 記念館の中から、サトウハチローらしさが伝わってくる展示品を紹介します。
○ハチローの詩に曲をつけた人一覧表
 芥川也寸志・団伊玖磨・服部良一・いずみたく・小林亜星・古賀政男等、200人以上の音楽家がハチローの詩に曲をつけていることが分かります。その中でも、芸大を出たばかりの中田喜直に最も信頼をおいて作曲を任したそうです。
○「ひなまつり」誕生〜うれしいはずのひなまつり〜
 ハチローは離婚をした時、6年生と4年生の娘を引き取りました。実母と別れて寂しく過ごす2人のために、豪華な雛段飾りをそろえ、この詩を書いてプレゼントしたそうです。
○詩集「おかあさん」ができるきっかけ
 TBS番組「おかあさん」では、毎週おかあさんを題材としたハチローの詩が紹介されました。ハチローは少年時代に好き勝手なことをしたお詫びの思いがあり、お母さんの詩がどんどん生まれたそうです。
○仕事部屋再現
 ハチローは机を使って仕事はせず、ふとんにうつぶせに寝て詩をつくったり文章を書いたりしていたそうです。

 サトウハチローは、1903年東京都牛込生まれ。金子みすゞ(その3)、知里幸恵(その6)と同じ年の生まれです。父は作家佐藤紅緑です。
 ハチロー少年は、手の付けられないほどの暴れん坊で、けんかをするたびに母は近所へ謝りにいくという繰り返しだったそうです。15歳の時に父紅緑に勘当され、小笠原諸島の父島に送られます。この時に彼を救ったのが紅緑の弟子である福士幸次郎です。幸次郎は父島へ同行し、ハチロー少年に詩づくりを教えます。この時の経験が、後のサトウハチローをつくるきっかけとなります。

 ハチローは優しく人間愛に満ちた詩を作りますが、ハチロー少年の行動からは想像することができません。児童詩の代表作は、「うれしいひなまつり」「小さい秋みつけた」などがあります。詩集「おかあさん」は、今でも多くの支持を得ています。北上市では現在、お母さんを題材とした詩を募集しています。サトウハチローは歌謡曲の分野でも活躍します。「リンゴの唄」(昭和46年)「長崎の鐘」(昭和49年)が代表作です。
 教室で読みたい作品も多くあります。「ことばはやさしく美しくひびきよく」「山は教えてくれる」などです。全員音読にぜひ取り入れたい詩です。
(さざなみ国語教室同人)