巻頭言
引き出しの中の住人
山 本 純 子

 こどもに分かることばで、と思って詩を書いているせいか、時々私の詩が中高の入試問題に出る。次の作品もその一つ。


 男の子が三人

男の子が三人
向こうからやってきて
こんにちは
こんにちは
こんにちは
って、通りすぎるから

私も
こんにちは
こんにちは
って、通りすぎたら
ぼくの分が足りない
というつぶやきが聞こえた

こどものころ 母が
すいか、とか
ようかん、とか
おいしいものを切るとき
私の分は
って、いつも見つめた

こんにちは、も
きっと
おいしいんだ


 私は定年一年前まで、高校の教員をしていたので、この詩の男の子のモデルは高校生の野球部員。実際の挨拶は「チワッス」だったし、つぶやきは「俺の分、なかったよな」だった。私が見上げるような体格の子が俺の分のこんにちは≠ノこだわっているのがおかしかったのだ。

 私は二十代の半ばから、不登校の子やハンディのある子を交えて活動しているこどもミュージカルの場に参加していた。その関係でNHK・Eテレのハンディのある子供たちに関わる番組は努めて観ていた。あるドキュメンタリーで、ダウン症の女の子がクッキー生地をこねている新参の男の子に「心をこめてね」とアドバイスしていた。男の子が「心?」と問い返すと女の子、「そう、心もおいしいの」。こんなすてきな科白、忘れられるわけがない。

 川崎洋さんは私の詩の先生。川崎先生は、頭の中のどこかに詩の引き出しがあって、詩のことを考えていない時に、引き出しの中のものが突然ノックする、と書いていらっしゃるが、野球部員もダウン症の女の子も、ずっと私の引き出しの中の住人なのだ。
(詩人)