全国文学館めぐり(2) 宮沢賢治記念館
北 島 雅 晴

 当記念館は、JR新花巻駅から車で7,8分の所にあります。私はその街の雰囲気をちょっとでも感じるために、できるだけ徒歩で訪れるようにしています。国道沿いの緩い上り坂ですが、辺りは人家も田畑もほとんど見かけない静かな道です。100メートルおきに賢治の作品を描いた児童画が掲示されており、心を和ませてくれます。記念館は、胡四王山の頂上にあり、367段の階段を登らなければなりません。「車で来るべきだった」と後悔しました。

 宮沢賢治記念館は、花巻市民及び賢治ファンの願いと努力に支えられて、昭和57年に完成しました。賢治の遺品は、空襲によって多くが失われてしまいましたが、原稿やノート等については、賢治の弟清六氏が大切に保管していました。記念館完成前に、これらの遺品が清六氏から花巻市に寄贈され、すべてがマイクロフィルム化されました。

 記念館は一般的に、人物の生きた年代順に構成されることが多いですが、当館では主題別に8ブロックに分けた構成になっています。
 T.時代・地域・生家  U.信仰  V.科学  W.芸術
 X.農村  Y.総合  Z.資料  [.世界を見つめる賢治宇宙

 賢治の作品は、仏教(主に法華経)・科学・芸術・農民(農村)といった要素が絡み合って独特な世界を作り上げています。主題別の展示の仕方は、よく考えられています。私が訪れた時にも、小学生の団体の来館がありましたが、子どもたちの様子から、展示内容がやや難しいようにも感じました。しかし、賢治愛用のセロ、童話を映像で見るコーナーが特に人気がありました。賢治の何作品かは外国語に翻訳されていますが、外国の方が賢治の作品を読んでどんな感想を持ったのか、どこの国でその作品が翻訳されているかといった説明があり、興味深く見ることができました。

 賢治は1896年(明治29年)8月27日、岩手県稗貫郡に生まれます。小さい頃から植物採集や岩の標本集めに熱中しました。科学に対する関心が高いだけでなく、漢詩をつくり、法華経を学び、ドイツ語や英語を流ちょうに話すといったように、多方面に才能を伸ばしました。

 賢治の生き方の根底には、法華経の教えがありました。賢治がなくなる前に母に次のように話します。
「この童話はありがたいほとけさんの教えをいっしょうけんめい書いたものだすんじゃ。だからいつかは、きっと、みんながよろこんで読むようになるんすじゃ。」
 賢治は、仏様の教えを童話という形で表したのだと考えていたのでしょう。

 賢治は30歳の時、5年間務めた稗貫農学校を退職し、農民として生きる道を選びます。きちんと働き、平凡な毎日の中にも豊かさのある生活を求めました。地域の農民に、農作物の育て方について講義をし、レコードコンサートなども行っています。科学の力は人を幸せにする、芸術は人を豊かにするという信念をもって行動しました。

 賢治の生前に、童話が広く認められることはなく、37歳で亡くなります。しかし、没後85年たった現在でも、多くの人々に賢治の作品が愛されています。
《子どもに特にお勧めの作品》
「雪わたり」「さるのこしかけ」「鹿おどりのはじまり」「よだかの星」「けん十公園林」「風の又三郎」「ツェねずみ」「セロひきのゴーシュ」「クスコーブドリの伝記」「銀河鉄道の夜」
(さざなみ国語教室同人)