▼期待を持たせる言葉がある。それは生きる力に響くことが多い。例えば、「明日は楽しい遠足です」と言う。しかし、遠足を楽しみしている子ばかりでないとしたらこの言葉は重くなる。

▼電車の中。新学期を数日後に控えた家族の会話。比較的乗客が少ないので、母と子で楽しそうな会話が弾んでいた。母親の「新しい学年の先生は誰かな。楽しみだね」のひと言で男の子の顔が曇った。「学校って楽しいことない」という小さな呟き。様子から察するところ、何度も「楽しい」という言葉に裏切られてきたことが推察できた。

▼男の子の様子を見ながら、アメリカで生活されてきた方の話を思い出した(国語教育研究 No.536 福山多江子)「あまりお子さんに楽しみだという期待させる言葉は言わないでください」と言われたという。それは、水遊びの水着を持たせる時の話である。理由は、「明日、楽しみに来てね」と声をかけると、子供は活動に期待を持つ。期待通りでないと落胆が大きい。水遊びが好きでない子もいるという説明であった。水遊びは楽しいと思いこんで「楽しみに来てね」と言いそうである。しかし、期待を持たせる言葉を伝えなくても、日々の生活、遊びが楽しみで登園するという日があってもいいという考え方であるという。

▼考え方の多様さと深さ、そして、言葉について考える「楽しい」であった。(吉永幸司)