巻頭言
第二の人生
伊 庭 郁 夫

 講師も含め三十八年の教職人生を終えた。肩の荷がおりてほっとしている反面、新しい第二の人生にわくわくしている。
 教職で特に大切にしていたのは、「出会い」「新しいことへの挑戦」である。
 「だれ」と出会うかで人生は大きく変わる。

 国語の世界に足を踏み入れたのは、初任校の校長先生の「近江の子ども」で作文を勉強してはどうかというお誘いであった。そこで、故高野倖生先生にお出会いし、作文の魅力や大切さを学んだ。確か、一年目の合宿で「作文の取り組みについて提案してください」と言われ必死で取り組んだ記憶が蘇る。今思えば「頼まれごとは試されごと」であった。
 その後、吉永先生の主宰されている「さざなみ国語教室」に声をかけていただき、三十年余り学ばせていただいている。このご縁で、滋賀県内外の多くの実践者にお会いすることができ、多くの刺激を得た。今でもこのご縁が大きな財産である。

 また、平日以外は学校関係者以外の方との出会いを大切にしようとした。スポーツ少年団の指導を二十年続けてこられたのは、家族の理解と協力のおかげである。困った時に「深刻になるな。真剣になれ」とアドバイスをいただいたのは、企業人である。
 退職前後には、かつての教え子や保護者から「食事会でもしましょう」「お話する時間はありますか」など声をかけて下さる「一期一会」の言葉通り、出会いをこれからも大切にしたい。偶然は必然と感じる今日この頃である。

 人生は常に選択の連続である。「迷ったらしんどい方を選ぶ」ということである。その方が、豊かな人生が送れそうである。
 明治図書から二十年ほど前に『挑戦・小学生の説明文ディベート』を出させていただく機会があった。編集長からは、目次が大事だから再考するようにとアドバイスをいただいた。ディベートを自分が体験するために東京や大阪に出向いた。一冊の本を作り上げる労力の大きさと喜びを感じた。
 新幹線で、山口県まで研究会に向かう車中宮本延春先生の『オール1の落ちこぼれ教師になる』を読み涙した。帰宅後、この実話を道徳教育の教材にできないかと思い、自作資料を作り宮本先生にお見せした。これも書き直しをアドバイスいただき、子どもたちと目標を持つこと、努力することの大切さを共に学んだ。

 教職についたおかげで、自分の可能性を伸ばすことを身をもって感じた。学生時代に出会った少林寺拳法の創始者宗道臣先生は、「人間は、可能性という卵をもって生まれてきた。その卵を大きく育てることが大切である」という意味のことを話されている。私自身、水泳の採用試験では25メートルを平泳ぎで何とか到達するのに必死だった。しかし、このままではいけないと放課後のプールで練習したり、スイミングスクールに通ったりした。大津のスクールからの帰り、自宅方面は雪が舞っていたことを鮮明に思い出す。練習の甲斐があって個人メドレーができるようになり、トライアスロンにも挑戦するようになった。何より、水泳で何につまずいているのかを見極め助言する力がついた。

 第二の人生は、生まれ育った地元高島で「社会福祉」をしたいと願った。幸い障がい者の皆さんと共に汗を流す職場に出会った。その社会福祉法人が目指す5つの職員像の一つに「聞く・話す・伝える・コミュニケーションとチームワークを大切にする人」がある。
 学校教育で「コミュニケーション力」を育てることの重要性を考え、取り組んできた。実社会において、その価値がいかに大きいか実感する毎日である。
 これからも自分磨きが続く。
(前大津市立木戸小学校教頭)