巻頭言
おみやげ日記から一歩ずつ
櫛 引 千 恵

 十一月十四日、県民の日。私は、埼玉県の国語の勉強会「せせらぎの会」の指導者である佐々木正房先生に導かれつつ、先輩の先生方とともに、滋賀大学附属小学校の吉永先生の教室をめざしました。もう、三十年も前のことです。
 教室の空気に、先生の言葉に、子ども達の学ぶ姿勢に、深く感じ入ったことを今も、鮮明に思い出します。教師になって間もなく、深いことまで学び得ることはできていなかったと思いますが、「このような国語教室に。このような子どもを。」と遠いながらも実像を伴ってめざすべき目標を持たせていただいた日となりました。

 その後、吉永先生のご著書等を読みつつ、できそうなところからまねをしてみることにしました。『子ども理解の技術』(明治図書)からは、一人一人の子どもを理解することが、吉永先生の国語教室の基盤であり、「この子の教師である。」という自覚が教師としての原点であることを学びました。早速、児童と保護者と教師がトライアングルのようにつながる「おみやげ日記」の実践を始めました。連絡帳と日記を合わせ、連絡事項の後に学校でのことをおみやげとして日記に書く。おうちの方から一言感想をいただく。次の日、担任が一言を書く。この実践を通して得られるものは大きく、今では、私の教室の核となっています。

 児童が書いた文章、書いた文字、書かなかったこと、保護者の一言等から、児童の伸びようとする心、伸びる瞬間、葛藤、児童の背後にあるものを受けとめる。それを児童に、国語教室に、どう生かしていくか。この課題の答えに終わりはなく、ご講演でお話をうかがうたびに、新しい視点、生かし方があることを知ります。
 児童を取り巻く環境や時の流れとともに変化しているもの、これから先を見据えて児童に付けておきたい力。これらを踏まえた上で、児童の今を捉え、そこから発想していくことの大切さを学びます。

 「国語力」を付けていくための教材研究もまた、学ぶことの連続です。今年になり、『「モチモチの木」の教材研究と全授業記録』(明治図書)を読み返しました。二十三年も前のご実践であるのに、今日、求められている授業のモデルが既にその記録に示されており、心が躍りました。先生の「講座」は、毎回、新鮮で心が弾みます。
 教師として人として、吉永先生から学びたいことは、尽きません。
(埼玉県八潮市立八條小学校)