巻頭言
幸せな時間を求めて
近 藤 美 由 紀

「もうすぐ師走でしょう。」
「形容詞はいくちゃんだよね。」
 子どもたちが笑顔で声をかけてくる。私の幸せな時間である。

 中学校から小学校に異動し、二年目となった。教頭という立場では、本当は職員室にいて、来校者や電話の対応をしたほうがよいのだろう。しかし、私は授業が好き、授業がやりたいと主張する。わがままを通させてもらっている。
 いつもは、六年算数の習熟度別学習に週五時間出かけていく。昨年度からみている六年生の子どもたちなので、かわいくてたまらない。少しでも自分の力で問題を解けるようになってほしい、筋道を立てて考えを説明できるようにさせたいと、手を変え品を変え挑んでいる。それはそれで楽しいのだが、私のわがまま病が首をもたげてくる。国語の授業がやりたいと。

 そこで、私は二つの方法を考えた。一つは、先生方の出張日に自分が出向いて授業をする。出張のある先生は自習準備をしなくてすむし、私はやりたい国語がやれる。一挙両得である。もう一つは、若手教員の授業に入り込む。こちらは、授業の流れを考えたり、指導法を伝えたりすることが中心だ。「先生、やってみせてもらえませんか。」と言われたら、もう大感激。自分の授業力のなさなど棚に上げ、やりたい国語をやらせてもらう。一年生「サラダでげんき」では、場面ごとに登場する動物が教えてくれることやりっちゃんの気持ちを、文中の言葉からどう考えていくのか、「先生が話してみせるから聞いていなさい。」と話す。子どもたちの瞳が集まってくるこの瞬間がたまらない。

 思えば十四年前、この言い方を教えてくださったのは吉永先生であった。「子どもたちにお手本になる話し方を見せてあげなさい。」と。そうだ。知らないことをきちんと教えなければ、できるようになるわけがない。そのきちんと教えることと、教えたことを使って考えることを意識した授業をめざすようになったとき、自分のなかで新たな授業が動き始めた。子どもたちの息づかいがよくきこえるようにもなった。
「私の考えをどう思いますか。」
「私はこう思いましたが、あなたの考えを聞かせてください。」
 素直な子どもたちは、すぐに言葉を覚え使い出す。身についていく。その姿を見られることが、私には至福の時間である。あと、一年と数か月、この時間を求めていく。
(西尾市立八ツ面小学校)