【倉沢栄吉先生追悼】
「さざなみ」と「近江の子ども」
高 野 靖 人

 いつお目にかかっても、背筋をしっかり伸ばされて、穏やかに微笑まれていた。倉沢栄吉先生である。その先生が、先月24日、永眠された。

  今回395号を迎えた「さざなみ国語教室」の機関誌・創刊号(昭和57年4月号)で巻頭言を書いていただいたのが、倉沢先生であった。タイトルは、「心臓のように」。この巻頭言は、次のように結ばれている。


 定期的に仲間うちが、実践を語り合う楽しさは、他の何ものにも代えがたい。自らの内にある心臓のたしかさをみんなで認めあっていく喜びなのである。

 どれだけ続けられるか、創立メンバーも不安であったが、30年以上継続できた原点がここにある。以降、我々の歩みを常に気にかけていただき、101号・200号・300号など、記念号に巻頭を書いていただいた。残念ながら、5か月後の400号の巻頭言として、倉沢先生の原稿を読むことはもうできない。

 さて、「心臓のように」の中で、「近江の子ども」についても書かれている。「商業的な儲け仕事」ではなく「地味な心臓のように、永続的な、しかし断えることのない働き」だと。
 昭和36年3月に創刊された「近江の子ども」、ちょうど10周年を記念して刊行された「近江の子ども〜おかあさんと子どもの作文教室」(新光閣書店)では、編集者として「滋賀児童文化協会(田中三郎・高野倖生)」と合わせて「倉沢栄吉」と記されている。巻頭の「読者のみなさんへ」で倉沢先生は次のように記されている。


 今まで、日本に、こんな文集はなかった。日本になかったのだから、世界にもない。(中略)
 なぜ学習に役に立つのだろうか。この文集は、いい作文をえりすぐってあるけれど、ただ、いいものを集めて並べたようなものではない。どこがよいか、なぜよいかを、大ぜいの人が、考えたり感じたりしたことを書きそえている。(中略)
 この作者たちと作者たちを育てた先生方に大きなはくしゅを送ろう。

 この年の発刊10周年記念・夏期作文研究会では、2日間とも倉沢先生が、講演されている。当時、私は高校生。父を手伝って、この研究会に参加していた。この時が、倉沢先生と私との出会いだった。 倉沢先生、お疲れ様でした。ご冥福をお祈りします。
(大津市立仰木の里東小)