巻頭言
「問われる教員の指導力」の新聞記事
田 中 賢 一 郎

 センセーショナルな新聞の見出しに思わず目を奪われた。記事には「今回の学習指導要領改正では教員の指導法にまで踏み込んだ内容になる」とあった。確かにこれまでの改定は学習内容の見直しが中心であり、指導法は言わば「タブー」とされてきた部分である。では、どういう見直しが求められているのか。さらに記事を読み進めると『アクティブ・ラーニング(AL)』という一つのキーワードが挙げられていた。ALとは、課題解決型の授業法のことである。聞き慣れない言葉を聞くと、どうしても新しいものを創出しなくてはいけないと捉えがちである。しかし実際は、すでにどの教科でも取り入れられている方法だろう。各校の研究協議会でも「子どもの思考力を育む授業づくり」「効果的な学び合い」など、課題解決型の授業を意識した討議の柱になっているケースが多い。よって、この改正はそんなに難しく考える必要はないのかもしれない。

 気楽に読み進めていたが、終わりまでそうはいかなかった。記事の後半には課題が記されていた。「国際学習到達度調査(PISA)の結果では、日本は基礎知識を使った活用力は世界でも上位にあるが、学習意欲や自己肯定感は他国に比べ低い」とあったからだ。

 私自身が校内研支援で関わった学校の討議会の様子を思い出した。「他クラスで事前授業をしたときはうまくいった」「予期せぬ発言が出て混乱した」など教員の意見に対し、私は「課題設定をこうすれば多様な意見が出たのでは?」「あの場面、こう発問すれば意図する意見が出たのでは?」と応えた。一見、子ども中心に捉えた助言のように感じる。しかし、これはあくまでうわべの方法論にすぎない。

 教室にはさまざまな子どもがいる。その子ども一人ひとりを理解することこそが、事前授業を自分のクラスに生かす方法であり、子どもの反応に幅広く対応する解決法ではないだろうか。それが、学習意欲や自己肯定感の育みにつながり、効果的ALの授業実現の近道になるのではないだろうか。 「子どものことを真剣に考える」ことは、教員だれしも大切にしていることである。教員の指導法が問われるこの時期に、今一度その思いに立ち返る必要があるのかもしれない。今、そんな思いで吉永先生の著書を何度も読み返している。
(茨木市教育委員会指導主事)