【特別寄稿】
教師を目指しています
原 田 恕 子

 小学校四年生の時の担任の先生の一言が今も忘れられません。
「死ねなんて簡単に言うものではありません。」
 その先生の思い出は、とても優しくてクラス全員の人気が高く、お父さんのような存在でした。休 み時間には、女子みんなで先生の所へ行き、一緒に遊んでもらっていました。しかし、その先生が一 度だけ、大きな声で厳しく指導をされたのです。それが先ほどの言葉です。それは、学活の時間のこ とでした。

 その日は、一月十七日、神戸の阪神淡路大震災が起こった日でした。私たちは、地震が起こった当 時、まだ一才でした。だからほとんど記憶にない出来事です。そこで、先生が、その当時の話をして 下さいました。みんなはその話を真剣に聞いていました。
 先生の話が終わった時、クラスでは、少しやんちゃと思われていた子がこう言ったのです。
「えっ。それで、先生の妹は、そ地震で死んだの。」
それは、とてもふさげた言い方でした。言い方が面白かったので皆、笑い出してしまいました。し かし、先生は急に顔を変えて、
「今、なんて言った。」
と、厳しく問われました。みんなは、とんでもないことをしてしまったと思い、黙り込み先生を見つ めました。
「死をそんなに軽く受け取るんちゃうで。皆もや。死んだと言って笑うなんて。最近、皆の口から、死ねって言葉をよく聞きます。これはいけないことです。死ねなんて簡単に言うものではありません。」
と、おっしゃいました。今まで優しいと思っていた先生の厳しい姿でした。厳しかったのは、その時 だけでした。それ以来、先生は、また、いつもの優しい先生で大きな声で怒ることもなく穏やかな毎 日でした。

私は、今、大学の三回生です。教育実習に行った時、いたずらをしたり、ふさげて友達を困らせて いる子を見たとき、ふと、先生の言葉を思い出しました。
トラブルが起きている場に立ち会うことが度々でした。その時には、しっかり指導をすることがで きませんでした。また、教育実習中に、子どものいたずらをみかけることもありました。
「このようなことをしては、だめだよ」と、注意をしたり、「相手の気持ちを考えてごらん」「いや なことをしているのですから止めなさい」と、言い聞かせもしました。しかし、少しも子どもの心に 届いていないことがよく分かりました。「叱ること」や「注意」をすることがこんない難しいことだ ということを初めて知りました。注意をしても心が届いていないのがよく分かったからです。このよ うな経験から、きちんと指導ができることが大切だということを学びました。

 小学校時代、たくさんの思い出がある筈なのにいつも、思い出すのは命の大切さとあの時の教室の 雰囲気や先生の表情です。教育実習生として、子どもに注意をしたり叱ったりするときとは気持ちが 違うということを感じることがたくさんありました。命に関わることについて、厳しかった先生を思 い出す度に、改めて先生のクラスでよかったと思っています。
(京都女子大学3回生)