巻頭言
復 帰 の 夏
大 川 昌 利

 二十年ぶりに滋賀県大津市石山で国語研究集団合同研究会に参加した。多くの刺激を得て、充実した一日を過ごすことができた。

 私は、四年前に交通事故を起こし、左足の下腿切断、左肩腋窩神経麻痺、くも膜下出血等という重傷をおった。一年間休職し、入院とリハビリを繰り返した。
 退院後は、四〜六年生の社会科を教えることとなった。今思うと、退職までの三年と六か月は、本当に実に様々なことを学んだ。
 例えば、四年生の「水の旅」では「神戸市の水道管は、どのようにひろがっているか」を資料から考えることになっている。しかし、その前に、「わたしたちの神戸」(副読本)の資料では、水道管は導水管、送水管、配水管という言葉で書かれている。
 また、五年生の農業の学習では、「グラフから日本の農家は、どのような特色があるのか」を考えることになっている。そこでも専業農家、第一次兼業農家、第二次兼業農家、販売農家、自給的農家と五つも、児童にとってはなんのこっちゃという難敵の遭遇する。
 六年生の歴史学習では、平安時代の終わりの源平合戦の学習の時、「どうして、平氏は源氏に負けたのだろう」を考える学習である。ある児童から「はらぎけい」が…という発言が出る。「みなもとのよしつね」のことを言いたかったのである。
 児童が何かを考える前に、考える足場をつくってやることが、どの子にも学習を保障することになる。言葉の正しい読み方や意味が児童はわかっているかを考えさせられた次第である。

 言語活動の充実が言われるが、やはり、目の前の子どもと対峙した時に、児童の言語実態を把握し、児童がわかるように、考えることができるように足場を固めていく地道な作業がまず大事であろう。
 次に、一人で考える場(ノートに自分の考えを根拠に基づき書かせる)、ペアでトーク、グループでトーク。そして、全体での話し合いにもっていきたい。
 教師の働きは、児童の読みや考えを交通整理して焦点化させることが、昔から言われ、これが今弱くなっていると思うのは私だけであろうか。
 感性は磨かないと錆びる。いつまでも、精進したい。
(心理カウンセラー)