▼学校は本当に忙しいのか? 最近、このように思うことがある。このきっかけは、芦田恵之助先生『国語教育易行道』を読んでいると納得することがある。

▼(引用が長くなる)山村・農村・漁村・都市・都村、何處に行っても讀本の書けない子、讀めない子が澤山あります。その理由としての説明の一つを耳で聴くと私以外の人には聴かせてはならないと、しみじみ思ひます。山村の先生いはく、「山村にして交通不便。何事も意にまかせず」農村のせんせいいはく「農事多忙。復習・豫習の寸暇をゆうせず。(この後、漁村、都邑の先生の言い訳がつづく)いづれも、讀めない、書けないという理由です。私はこれに答へて、「一つの耳で聴きますと、日本には讀める所、書ける所が何處にもないといふのが當然であるやうに感じられて来ます」。

▼学校は忙しいということの内容として、授業の準備、生徒指導、保護者対応、研究会が上がってくる。忙しいという言葉の中に教育の本質を妨げるものがあると言う意味があるとすれば、学校は、教育の場では無くなってくる。

▼職員室へ先生を訪ねてくる。パソコンに向かっている先生の答えは、「今、忙しいから、後で来てね」と言う。子どもの話を聞くこと以上に大事な仕事って何だろうと考えるゆとりがないほど忙しいこととは?(吉永幸司)