巻頭言
斉藤喜博「教師の仕事」に学ぶ
角 田 智 保

 本校は、吉永幸司先生に校内研究会の講師として来ていただき、指導を仰いでいる。
 研究会後の先生との雑談がこの原稿を引き受けるきっかけとなった。

 私は1980年、宝塚市内の小学校に新任として赴任した。その学校は、かの斉藤喜博先生が指導 に入っておられた学校であった。
 斉藤先生は、常に「子どもの持っている無限の可能性」を引き出し、高めることこそ、「教師の仕 事」であると言われていた。
 私も新任ながら授業を見ていただいた。1クラスを見る時間は約5分。その中で子どもたちの目を 輝かせる発問を投げかける斉藤先生の技を見て、あっけにとられたことを鮮明に覚えている。当時は、「介入授業」と呼ばれ、賛否はあったものの子どもが変わるという事実を目の当たりにした私にとっては驚きとしか言いようがなかった。

 特に音楽の指揮は強烈だった。
 子どもたちの前で合唱の指揮をしていた時、途中で斉藤先生が合唱を止めて、「一度、指揮なしで 歌って。」と指揮なして歌ったことがあった。その後、「指揮がなくても同じでしょ。」と言われた。それから斉藤先生が子どもたちの前に立たれ、指揮をされて子どもたちが歌い始めたとき、耳を疑った。
「これが私のクラスの子どもたちの歌声か。」明らかに子どもたちの歌声が変わっている。斉藤先生が、子どもたちに歌詞の解釈、感情の入れ方等の細かな指導を入れながら丁寧に「手入れ」していく度に子どもたちの歌声はどんどん変わっていく。「これが、子どもが変わる」ということかと自分の力のなさをあらためて感じた時だった。

 斉藤先生は「よい授業の条件」として次の7つを挙げられている。
1 子どもの可能性を引き出す場になっているかどうか
2 一方的でなく相互の交流があるかどうか
3 誰にでもよくわかる授業かどうか
4 緊張と集中の中にある授業になっているかどうか
5 教師が豊かな言葉を発しているかどうか
6 具体的な事実に即しての指導になっているかどうか
7 指導の技術と技能を身につけているかどうか
 これらを40年前に掲げられた斉藤先生の先見の目には驚くばかりである。
参考・斉藤喜博『授業をつくる仕事』
(兵庫県宝塚市立長尾小学校)