教材を読む 「ごんぎつね」A
吉 永 幸 司

 「ごんぎつね」は、その時代をよく表わしている。前号に続き、心に残った表現を追ってみたい。

(4) ごんは「ふふん。村に何かあるんだな。」と思いました。
 文章は、弥助の家内がお歯黒をつけている、かじやの新兵衛の家内が髪を梳いている様子を見た時のごんのつぶやきである。
 日常的でない様子は、この2人だけではない。村全体が落ち付かない。足早に家を出たり、あらたまった時の着物を出したりする。この様子は、少年時代によく経験をした。私の記憶では、葬式か結婚式か。結婚式は前から分かっているので、すぐに葬式を考えることができた。ごんの場合いは祭りか葬式と考えたのも理解できる。
 小さなこわれかけた家の中に大勢の人が集まっている様子は、私の少年時代の風景そのままである。いわゆる「よそ行き」という少し上等の着物を着て、手伝いを目的に集まるのである。男性より女性が活躍する。「こしに手ぬぐいをさげたりした女たち」という表現がよくその様子を表している。主な仕事は食事の用意である。
 表の竈で火をたいてとか大きな鍋など、村ぐるみで葬式の用意をしている。竈では、汁物の料理を作るのが私の村の習わしであった。

(5) その明くる日も、ごんは、くりを持って、兵十のうちへ出かけました。
 この文章の前に次の文章がある。
 ごんは、「へえ、こいつはつまらないな。」と思いました。「おれが、くりや松たけを持っていってやるのに、そのおれにはお礼を言わないで、神様にお礼を言うんじゃ、おれは、引き合わないな。」
である。
 お礼を言ってほしいごんがである。兵十に「おれが栗や松茸を持っていっいるのだ」と知ってほしい気持ちは文章から十分伝わってくる。例えば、「兵十のかげぼうしをふみふみ行きました。」の様子は、いいことしているだろうと念を押しているようにも見える。軽々と、ひょいひょいと歩く姿にも見える。もう分かってくれているだろうと思っている。ところが、加助に「神様もしわざ」と言われ、兵十も納得したような姿に見える。

 「引き合わない」と思ったごんが、その明くる日もくりを持って行ったことについて考えてみた。ごんをどのように捉えているかということによって違うが、「もう、持って行かない」と考えることもできる。多くはつぐないや優しさが根拠になる。その中で「ごんは兵十が大好きになった」という子の発言が今も心に残っている。その理由に「うそと思うなら、あした、見に来いよ。そのくりを見せてやるよ。」の文をあげた。加助が来た時、くりや松たけがなかったら、兵十は嘘をついている。賢いごんだらか、うそをつく兵十と思われないようにと考えたのだろうという意味のことを述べた。子供らしい考えだと思って授業をしたことを覚えている。
(京都女子大学)