国語教室の「あいさつ」
森 邦 博

 公民館「認知症」講座での話。講師は奥様が認知症を発症され、看護・介護の日を送っておられる方にお願いした。
 認知症の診察に至るまでの経緯、診断のときの思い、そして毎日の奥様との生活をお話いただいた。
 認知症についての周囲の誤解がまだまだあることや、家族に患者がいることを隠しておきたい思いがあること、近所・地域の人に迷惑をかけてしまうことへの心配や不安など、率直な気持ちをお聞かせいただいた。

 その中の一つのエピソードが心に残っている。
「最近夫婦で入所した老人ホームでは、グループで食事をすることになっています。どこにおいてもおつき合いのはじめは挨拶が肝心だと、大きな声で人より先に挨拶することにしました。ところが、Aさんは挨拶を返してくれません。入所するまで一人住まいの日を過ごしておられたためか表情も乏しいのも気になりました。
 何週間か経ったある日、食事時間に少し遅れて現れたAさんに、『おはようさん。今、あんたの悪口を言おうと思っていたところ。あんたがいては言えんがな』と、冗談を投げかけると、Aさんの表情がゆるみました。しめたと思いました。食事の雰囲気が和んだのです。毎日挨拶続けていてよかったと思いました。
 そして次の日。いつもより早く現れたAさんにまた、『おはようさん。また悪口言われんようにと、早く来たんだね』とおはように続けて言ったところ、昨日とは大違い。『ハハハ』と笑い声まで返ってきたのです。それだけでない。妻の口からも笑い声が聞こえたのでした。Aさんに手を合わしたい思いになりました。」
 続けた挨拶。声かけが相手の心をほぐしその場の雰囲気を変える。それが周りに広がり、誘われるように奥様の気持ちも動いた。小さな挨拶のくり返しだけれど、学ぶことが多いなあと思った。
言葉に乗せて相手に伝える心というものの不思議で素敵な働きを思うのである。

「おはよう」は「早いお目覚めですね、元気に朝を迎えてよかったですね」という気持ちが省略されたもの。そういう心を相手に伝え合う言葉だと聞いたことがある。すると「こんにちは」には「今日のご機嫌はどうですか。よい一日を過ごせますように」という互いに祈り合う気持ちが、「こんばんは」には「無事に一日の終わりを迎えられましたね」という感謝の気持ちが続いているのだろう。国語教室がそんな気持ちを込めた挨拶が交わせる場になるといいなと思うのである。
(大津市立中央公民館)