巻頭言
私が出会った師ふたり
中 山 長 和

 ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶ泡沫は、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためし無し。
 社会人となって20代はなすすべもなく、流れに棹さすこともできず、流れのままに流されていた。

 そんな時、一人の師に出会えた。
 今は亡き今井鑑三先生である。
 大阪教育大学付属天王寺小学校で示範授業をされた後の懇親会の席で、「今井先生の授業は釣りをしているようなものですね」と言った私のひとことに激怒された。
 何度も拝見した先生の授業は、椅子を引いてはカタカタ、横に立ってはガタピシという流れを壊すような不快なことは一つもなく、手で指し示せばすっと立って読む、すっと立って答える。
 私にとってその一連の流れはまさに釣りであった。なぜおしかりを受けたかはいまだにわからない。  また、大阪で会があった後にはよく飲みにつれていただいた。あるとき、明日の授業のために教 材研究をしなくてはならないので先に帰るといわれた。教材は「ごんぎつね」。すでに何十回も経験 されている教材なのにという私の疑問に対して、このときは静かに諭された。
 どの時、どの場であっても子どもはいきており、教材もいきている。今までの教材研究は過去のも のであり、明日のための教材研究を欠かしてはならない、と。

 もう一人の師は吉永幸司先生であり、私は30代半ばに八尾市で強烈な授業を目の当たりにした。
 特別支援学級の一人を含めたクラスであり、その子は時々奇声を発している状況の中、その子にはあてるなという子どもたちの声を聞きながら、先生はその子を指名し、その子の言葉を板書した。
 授業の流れが最後に来た時、その子の発言と見事に重なった。参会者から思わず拍手が起こった。あの子の笑顔が忘れられない。
 準備された流れでないことは明白であり、機に臨んで作られた素晴らしい流れを感じた。
 一人ひとりを大切にするということを実感した瞬間であった。

 当時の私にとって、今井先生は父のような人であり、吉永先生は兄のような人であった。
 流れ流され流れの中で、ふと立ち止まって想うことは。
  思えば遠くへ来たものだ。
   明日はどこへ行くのやら。
である。
(光村図書出版株式会社)