表せない感情
弓 削 裕 之

 6年生は総合の時間、平和学習に取り組んでいる。修学旅行では広島をおとずれ、被爆体験者の方のご講話を聞いた。学年末に行う学習発表会の劇も、戦争と平和をテーマにした内容である。
 私事だが、大学生の頃、自主映画を撮っていた。卒業制作は反戦映画だった。「ぼくは明日、戦争に行く」という書き出しから始まる幾枚もの手紙を、高校生がただひたすら読み上げるという実験映画である。偶然、学習発表会の劇の中に、「被爆の前の日にも、日記つけてたのかな」という台詞が出てきた。そこで、「わたしは明日、戦争に行く」という書き出しのみ書かれた紙を子どもたちに渡し、それに続く12歳の思いを言葉にしてもらった。

 わたしは明日、戦争に行く。わたしは、戦争に行きたくないです。どうして行かなくてはならないのですか?国のケンカのために。死にたくないです。だから家族と家にいたい。でもダメなんだそうです。人の死を喜ぶ人なんかいないでしょう。なのになぜ、殺し合いをしなくてはならないのですか?わたしにはわかりません。ただ一つ、心の底から思うのは、「ぜったい生きて帰ります」これだけです。

 わたしは明日、戦争に行く。わたしの知っている人、わたしの家族。その人たちの笑顔を思うと、目から雨が降ってくる。もっと長く生きて、もっと色々な人に出会いたい。きっと今のわたしには、帰る場所があるから、生きたいと思えるのだろう。帰る場所がない人は、今日まで何を支えにし、生きてきたか…。そう思うと、わたしは幸せなのかもしれない。

 わたしは明日、戦争に行く。戦争はいやだ!今は、この一心だ。戦争の結果、何ができる?できるのは何もない。人の心の中に悲しみも楽しみも憎しみも何も残らない。これを読んでいる人に言っておきます。(後略)

 どの子も、戦争に行く人の気持ちを想像し、言葉を探していた。が、どんな言葉を選んでも、どこか腑に落ちないような表情を浮かべていた。ある児童が後記として書いていた言葉に、その答えがあった。

 ただ、人の死について向き合わないといけない人は、私の何十倍も悲しむだろう。その悲しみは、人を亡くした人にしかわからない。表せない感情です。

 どんなに想像しても、経験した人にしか表せない言葉もあることを知った。
(京都女子大学附属小)