書教育雑感 その1
中 嶋 芳 弘

 私は、岡山県で「字」を習い、滋賀県で「書」に出会いました。岡山で学んだのは、お手本を写す「お習字」でした。
 「お習字」それは形から入り、線の強さをも求められる、大人の小型を子どもに求める指導です。子どもの姿から出発するのではなく、古来の指導方法によりどころをおくそれは、生活様式の変わった現代に、そして、指導時間の限られた学校教育の中に受け継がれていくものでしょうか。

 全国の多くの学校でなされている書写指導では、のりで固めた筆を半分ばかりおろし、硯と紙を一筆ごとに往復し、手本そっくりに筆やりと形をまねようと涙ぐましい努力をしています。教師は朱筆を持って手本との違いを指摘するものの、ほとんどの教師が塾で学んでいる子に指導できるだけの力を持たない。

 もしも、形を教えることが毛筆書写の役割として大切であるならば、全国の大学の教員養成課程で書写書道実技は必須でなければなりませんし、毛筆で楷書が教科書のように書けるだけの力をつけなければならないでしょう。現実が不可能に近いのは、生活様式の変化を考えれば当然のことです。  全国で書写の教育に携わる教師が、もし「形」を指導することを硬筆にまかせてしまい毛筆では、「線質」指導することに重点を置くことができるとすれば書写の教育は変わると思います。硬筆による字形原理の指導についてと毛筆実技及び鑑賞による線質・線表現理解のための指導についてならば限られた時間の中で指導力を持った教師を養成できるでしょうから。文字と文字教育に対する高く広い資質を持った教師が養成されなければ、パソコンやスマートホンが身近なものとなった日本の文字の教育は崩壊してしまうような気がしてなりません。

 「私は、滋賀で『書』に出会いました」と書いたのはまさにこの点なのです。滋賀県では、書写指導といわず、幼児から高校までの硬筆・毛筆で書くことの指導を書教育と呼び、そうした歩みを現実に進めていたのです。私がふるさと岡山を離れ滋賀の大学に進み、今は亡き三原研田先生にお出会いし、聞いた言葉の中にどれほど多く「線質」を重んじる言葉があったことでしょう。岡山育ちの私はなかなか形から心を解き放つことができませんでしたが……。師は、よく「手本に酷似することを求めない」と言われました。この考えが滋賀の書教育の出発点だったのだと私は思っています。
(彦根市立河瀬小)