仲  間
弓 削 裕 之

 京都私立小学校の人権研修会が本校で行われた。「同じ人間として」と題して、杉原千畝の生き方に関わる授業をした。リトアニア日本領事館という立場にありながら2139枚のビザを発行し、6千人ものユダヤ人の命を救った千畝について知ることで、人種や国籍に関わらず自他の生命や人権を尊重しようとする態度を育てることがねらいである。

(1) 外国の人と接した経験について思い出す。
(2) 杉原千畝に関する文章を読む。
(3) 自分が千畝なら、通過ビザ発行を求められた時どうするか考える。
(4) ビザの発行を求められた千畝がどのような決断をしたか知る。
(5) 外国の人との関わりを振り返り、学習の感想を書く。

 (2)の活動で子どもたちに配布した文章は、ビザの発行を求められたところで終わっている。実際に千畝がどのような決断をしたかは、(4)の活動で初めて教師から伝えた。
 (3)の活動では、子どもたちの考えを「ビザを発行する」「迷う」「ビザを発行しない」の3つに分けて板書した。ユダヤ人の命を最優先にする考えが多かったが、どうしても自分を犠牲にはできないという考えもあった。そんな中で、「ビザを発行する」と決断したある児童から出てきた言葉に、一瞬チョークの手が止まった。

「ぼくはユダヤ人を助けます。仕事より仲間の命の方が大切だと思うからです。」

 一見、他の多くの児童と同じような考えだった。しかし、国や人種を越えたところにある「仲間」という言葉に胸が震えた。私は「仲間」と黒板に書き、その言葉の周りを何重もの輪で囲った。たくさんの言葉の中でその言葉を選んでくれたことがうれしかった。
 子どもたちが大きな舞台に立った時、とっておきの言葉を選ぶことができるように、私たちは国語を通じて言葉の選択肢を増やしていかなければならない。そう感じた瞬間だった。
 その子の学習の感想にも、素直な気持ちが綴られていた。

 外国の人と会った時は、別に嫌悪感など何も感じません。別に普通の人だからです。アメリカ人も日本人も中国人も、もとは同じ人間なので「嫌だな」と思うこともありません。

 当たり前のことなのに、先生はどうして僕たちにこんなことを考えさせたのですか。そう問われているような気がした。
(京都女子大学附属小)