▼言葉の力が育つということは、学校生活が引き締まることにつながる。例えば、授業の始まりは、教科書とノートを出して授業を待つ教室。当たり前のことであるがこれが難しい。

▼怪我が少なくなったというのは養護教諭の話。対人関係の怪我がなくなったのは、トラブルを話し合いで解決するようになったからである。また、トイレのスリッパを整える子が増えてきた。これは、指示が聞けることが伏線にある。また、落とし物がきわめて少なくなってきた。これは、授業の指導計画が整っているので引き締まった授業になったからである。

▼子どもの言葉も丁寧になってきた。敬称で呼び合うのが普通であり、改まった場では文末まで丁寧に話すことが日常的になってきた。例えば、学校のボールや縄跳びを持ち出して遊ぶ場合、「ボール」と言っていた子が「ボールを貸して下さい」と言えるようになった。それだけではない。学年やクラス、誰と遊ぶのかという目的も伝える力が育ってきた。最近では「ボールを貸して下さい。遊びが終わったら、僕が責任をもって返しに来ます」と言えるようになってきた。

▼いつ・どこや誰についてしっかり話すことは国語授業で繰り返し指導をしていることである。授業で学習したことがそれを日常化できるかどうかであろう。(吉永幸司)