巻頭言
校長先生の一言
普 賢 保 之

 京都女子学園では、親鸞聖人の体した仏教精神を建学の精神とした教育が行われている。 大学では一回生と三回生時に仏教学が必修科目となっている。学園では建学の精神の徹底 をはかるために懸賞論文を募集している。小学生にも応募してもらっているが、日頃から の先生方の指導もあり何れも秀作揃いである。

 今回、小学校の中学年の部に「入院生活をふり返って」と題した作品があった。その作 品には自分を取り巻く家族、先生、友達、医療関係者に対する感謝の言葉が溢れている。 「私はまだ完全ではないけれど、学校に行けるまで回復した。それは、家族、病院の方々、 友達、先生に助けられ、見守られていたからだと思う。人は一人では生きていけないと本 当に思えた二か月以上の長い入院生活だった。」とあった。また低学年の部には、「わた しのおねえちやん」という作品があった。そこには「(おねえちやんが入院して)本とう はさびしかったけど、しんどくなったおねえちゃんにお母さんがつきそうのはあたりまえ だから、さびしいなんていいません。おねえちゃんのほうが、しんどくなって、いたくて こわいけんさをうけるんだから、わたしよりもっとたいへんです。」と書かれていた。後 日、先生に伺ったところ、この二人は姉妹だそうである。作品には、はからずも二人が互 に思いやる優しい心が綴られていた。さらにお姉ちゃんの作品には、校長先生に「入院し て何を学びましたか。」と問われたことが書かれてあった。即答はできなかったけれど、 家に帰ると、「母が一緒に、お世話になった方々にどんなことをしていただいたかを振り 返ってくれた。」と綴られていた。

 校長先生の投げかけた「入院して何を学びましたか。」という言葉は、私自身にも投げ かけられているようであった。私たちは何か思い通りにならないことがあると、思い悩ん だり、その責任を周囲に転嫁して、そこから何も学ぶことなく過ごしがちである。

 親鸞聖人は、阿弥陀仏の教えを通して自己を深く見つめることにより、思い通りにいか ない人生を力強く生き抜かれた方である。二人の姉妹の思いやりに溢れた言葉も、また母 親の言葉も、日頃から自己を謙虚に見つめる生活の中から出てきた言葉ではないかと感じ た。
(京都女子大学教授)