巻頭言
二十五年前の国語の授業
翁長 まゆみ

 この春で永年勤めた小学校を退職した私のお祝いの会を、私が最終学年(六年)を担任した教え子たちが集まって開いてくれた。卒業以来のなつかしい顔も見られ、久しぶりの再会を喜び、思い出話に花を咲かせた。思い出はクラスの出来事や友達のことが多い中で、二十五年前に担任した教え子たちは国語の授業のいくつかが心に残っているという。

 その授業は、物語文の「川とノリオ」や、説明文の「空気の重さをはかるには」を教材にしたもので、どちらも教科書には載ってない投げ込み教材として選んだものだ。毎時間学習する範囲だけをプリントして配布する形で授業を進めたので、子どもたちは、話の展開がどうなっていくのか、結末はどうなるのか、興味をもって学習を進めることになり、それが楽しかったらしい。私も、教材選びや教材研究には時間をかけたことを覚えている。

 その年度の学級通信に、その授業での子どもたちの反応が書かれている。
 「川とノリオ」(いぬいとみこ作)は語り手の感情を抑えて淡々と述べる簡潔な文体で、子どもたちの初発の感想は「詩みたいでむずかしそう」というものが多かった。そこで、「一語一文を丁寧に読み、読み取ったことをプリントに書き込み、それをもとに話し合いまとめていく」という方法で授業を進めていった。しだいに、一語一文から豊かにイメージをふくらませることができる子どもたちが増えていった。一面的なとらえ方しかできなかった子も、話し合いをすることによって「友の意見」と記して書き加える姿も見られるようになった。また、学級通信に書き込みや感想を載せ全員で読み味わった。「一行ずつていねいに、プリント一枚に一時間かけて学習したからこそ、ノリオの気持ちを思いそこから戦争の恐ろしさまで考えが進められたのだと思う。」とFさんは感想に書いた。一語一文を丁寧に注意深く読み取ることで、その作品の中に深くたたえられた戦争への怒りや悲しみまで、子どもたちはきちんと受けとめたようだ。

 四分の一世紀も前におこなった授業が彼らの心に残っていることを知り、教師としてこの上ない喜びともう教壇に立つことができない一抹のさみしさを感じた。
(前京都女子大学附属小学校教頭)