▼冬休みの最初の日、職員室に母親が担任を訪ねてきた。宿題のプリントを忘れたので受け取りにきたのである。少しの時間、日頃の生活ぶりについて話をした。忘れたプリントの中に、3学期早々に行うテストの予習問題も入っていたので、プリントの活用の仕方などを含めて、母親のやるべきことなど丁寧に伝えた。「今日は学校へ来て本当によかった」という感想を伝え校舎を後にされた。

▼3学期最初、約束のテストをした。きっとかなりの成果をあげているだろうと期待をしたが、結果は期待に応えるものではなかった。成果が出なかったことについて後日、母親と話し合った。その過程ではっきりしたことがある。

▼家庭での会話の様子は、「今日の話は大事です。わかりましたか」「わかったらすぐに勉強しなさい」から始まり、「冬休みが終わります。テストの勉強はしっかりできましたか」。この母親の問いに「分かった」「できた」というような会話が日常的であったという。

▼この家庭における母と子の会話から気がついたのは次の二つ。一つは、会話に具体的な部分が少ないこと。もう一つは、利口になろうという気持ちが言葉になっていないこと。このことは日々の授業でも言えること。質のよく生き生きとした授業は、教室をゆきかう言葉が具体的で豊富であるから。(吉永幸司)