巻頭言
時々の初心忘るべからず〜さざなみ同人30年目の思い〜
森  邦 博

 発足以来毎月発行の本機関誌の台紙が黄色に変わった号がある。発足から8年目(平成8年)8月発行の「第101号」である。100号ではなく「100」を超えたことを喜び、その意味を大切にしたからであった。そして「第200号」は桃色の台紙である。この節々に学んだことを伝えたい。

 「第1号」に倉澤栄吉先生(日本国語教育学会会長)から頂いた巻頭言は「心臓のように」。そこには教育実践の2つの意味がある、と今改めて思う。

 その1つは、教育実践とは心臓の鼓動のように着実に休みなく刻み続けることというお教えである。100回とは、99回からつながったその次の1回であり、101回目へつなぐ1回である。1回1回が次の1回の土台となって「継続しつつ成長(あるいは生産、進化・深化)していく実践者たれという励ましでもあったと思う。教育実践は、1回きりのパフォーマンスの場ではない。子どもにとって意味ある日々を積み重ねるための絶えざる創意工夫であり、毎日の工夫こそが大事である。

 その2つめは、生命の源としての心臓と同じように、子ども一人ひとりの成長し伸びる教育実践を大事にしなさい、子どもが未来に向かうエネルギーを引き出し、着実に力をつける実践者であれという教えでもあったと考える。  この2つは、教育実践の初心であり、基礎基本としなければならないことである。

 倉澤先生には「第101号」の巻頭言にも玉稿をたまわった。「足もとからの改革」の題で、日米の教室の机と椅子の並びの違いを例に「学習指導の改善はこんなことから始めなければならない」と、身近にいる子どもを見据えた具体的な手立ての工夫改善の積み上げが大事だと諭されたのだ、と思った。再び教育実践の基礎基本、初心を振り返らされたのであった。

 「第200号」には、倉澤先生に「真の楽しみ」との題で巻頭言をいただいた。教室に「学習材に直面し、学習材と戦って、悩み迷い困っているときの「真剣な」「思いつめた」表情を、見ることが少なくなった」「楽しいばかりがよいのではあるまい。楽しがって得をしたということと並んで、否それ以上に「楽しくなくて得になる」ことも必要なのではないか?」と投げかけられた。どのような言葉の力がついたのかがあいまいで活動に流された国語科指導の改善は、教育実践の基礎基本である。またしても初心に帰って考え直す機会を作っていただいた。

 私はこの3月でさざなみ同人30年目を刻む。教員としての定年退職を迎えるが、今、改めて教育実践の基礎基本、「時々の初心を忘れず」の教えをかみしめるのである。
(大津市立田上小学校長)