巻頭言
国語科教育の現在の一例
渋 谷  孝

 1 国語科教育は「なりそこねた人」の「プール」の場なのか

 1965年前後、私がはじめて新潟大学に赴任した頃のことである。求人の条件は「国語科教育」であったが、その当時、国語科教育は、国文学か国語学の研究者としては、《認めて貰えない人》の「プール」の場であることが、後で分かった。
 私には、幸か不幸か、国文学(古代)の論文もあったので、辛うじて採用された。
 私はその時以来、国語科教育を国文学・国語学に劣らない学科目にするための仕事をすることを決意した。私には母校の山形師範学校以来の、小学校教員へのあこがれがあった。私の仕事の立場は、決まったのである。
 〈教科教育〉などというものは、専門科目の仕事の『息抜きだよ』と専門科目の教官が言っているのはよいとして、それでは学生が気の毒そのものではないか。

 2 現在の国語科教育の実践的研究は、「無事」なのか

 あれから半世紀は過ぎた。今年の9月、ある出版社から図書が寄贈されて来た。私の知人の著ではないが、私は30年前の「悪夢」を思い出してしまった。
 その書物には、安西冬衛の「春」という題名の一行詩の1時間の授業記録も載っていた。
「てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った」という詩である。
 私が困ったことだと思ったことは、次のようなことである。
 「てふてふ」と「ちょうちょう」はかなづかいの問題ではなく、「現代かなづかいに直すとだいなしなんです。春ではなくなるんです云々」と言ってる箇所である。
 間違いは誰にも有り得ることである。ところがそれから30年後に、単行本にまとめる時、そのまま収録されているのである。
 この著者は仮名遣いの変化は、なぜ、どのようにして起こるのかということについて考えたことがないのであろうか。その著者は「奥附け」によると、ある県の中学校長である。本人はもとより、誰も注意してくれる人がないのだろうか。
 私は国語科教育の実践的研究というものの、「仕様のなさ」の一つの例を見る思いがした。その「附け」は生徒にかえってゆくのである。
(宮城教育大学名誉教授)