制限を楽しむ
弓 削 裕 之

 子どもたちはしばしば制限を楽しむことがある。自分たちで考えた遊びが単調でつまらなくなってくると、より厳しいルールを作り、「こんなん無理やわ!」と言いながらうれしそうに挑戦する。テレビゲームに難易度が設定されているのも、難しいことに挑戦したいという子ども心をよく表している。

 漢字ドリルでその日の範囲を練習した後、新出漢字を使ってリレー小説を書く活動をしている。3つの制限つきである。
 o1文の中に必ず新出漢字が1つ以上含まれていること。
 o隣同士で1文ずつ交代して書くこと。
 o文と文のつながりが不自然にならないようにすること。

ぼくは、漢字検定をうけました。そのために漢字の資料を使って勉強しました。友達が「がんばれ!」と応えんしてくれました。
 一方そのころ、桜は満開でした。休けいに桜もちを食べました。桜もちがおいしすぎたので興ふんしました。興ふんしすぎて漢字検定の勉強をすることをわすれていました。悲しんでいることをお母さんに知られたくないので元気なふりを演じました。

ぼくはじゅん、春の桜が大好き。どうして、夏に新しい家に移るのか、興ふんしてねむれない。今まで習ってきた、応えんだんをいん退しないといけない。「どうしよう、どうしよう」と、限界まで考え続けた。
 だが、これは想像だった。妻は、ひっこすなんてウソだよと言い、今日は、アンタのたん生日だから、おどろかそうと思って、と言った。
 じゅんは、あ、そっかと思って、得意な逆立ちをした。

 子どもたちはまず、新出漢字の入った言葉を探し始める。自分の考えた物語に合うような言葉を必死に探す子もいれば、見つけた言葉をもとに物語の筋を考える子もいる。友達の書いた文の続きを書かなくてはいけないので、自然な流れにするために接続詞を駆使する子もいる。制限の中で生み出された文章には、必ず学びの足跡があるのだ。
 制限というのは窮屈であるが、確かな学びを保障する立場として、「自由」をもう一度見直さなくてはと思う。
(京都女子大学教育学部附属小)