巻頭言
スイスで?鴎外の「高瀬舟」を読む
佐 々 木 豊

 海外子女教育振興財団の依頬を受けて、イギリス・デンマーク・ドイツ・フランス・スイス各国に在る補習授業校を巡回指導する機会を得た。
 これらのたいていの補習校では、教員免許を有さない現地採用教員(国際結婚した主婦や留学生等)が日本国内と同じ教科事を使用して、主として国語の学習をしている。

 チューリッヒ補習授業校で出会った中学2年、3年の5名の子ども達は、全員スイス永住を目ざしている。共通しているのは、この子どもたちの母親は日本人で、父親がドイツ語を母語とするスイス人である。それでも、この子ども達は、週末になると保護者の車に乗って、補習授業校にやってくる。家庭ではドイツ語、日本語が入り混じっている。長い夏休みになると、母親の母国である日本に里帰りをする。そのようにして、1つの母語、日本語にかかわり続けようとしている。

 私は、ここスイスチューリッヒ補習授業校で「高瀬舟」の模範授業を実施した。
 1時間目を私の「高瀬舟」範読に充て、2時間目は、5人の生徒から、「私の音読したい箇所」の発表をさせた。その1人ひとりが実に興味深い発表をした。
○弟が、自分の命を絶つことを兄に依頼しなければならない壮絶な状況がある。
○生きながらえることが困難な弟の命を、兄が絶つことができたのは、むしろ幸いというべきではないか。
○救うために、殺すこと罪にならないと思う。
等々、スイスで永住を決めている、父親がスイス人、母親が日本人、という国際人中学生は、1人ひとりきちんと「高瀬舟」に向かっている。

 このような難解なテーマを持った鴎外の近代小説など、週1度のアマチュアの先生が教える補習授業校の国語の授業では理解できないだろう、と思った私の予想は見事に裏切られた。
 鴎外の難解な文章がスラスラ音読できるわけではない。しかし、この生徒たちは、スイスの現地校で、公用語のドイツ語という国語で、あるいは道徳で、〈安楽死〉について考える機会があったことだろうと、思い至るのであった。
 〈日本語をすらすら読めないから、鴎外の「高瀬舟」の難解なテーマなど理解できないだろう。〉という考え違いを、国内の国語学習においても行っているかも知れない。ドイツ語で、〈安楽死〉を考えている補習授業校の子ども達は、鴎外の「高瀬舟」を手繰り寄せることができている。
(「池田子ども詩の会」主宰)