当たり前のように毎日読んだ
森  邦 博

 本校では朝の10分間読書活動を始めてから6年目になる。現在の6年生が入学した年度から始まったものである。10分間の短い読書タイムにすぎないのだが、毎日続けることが大事と考えて続いてきた。

 毎月曜日と金曜日には、本校の読み聞かせボランティア「ちくりん」さんのメンバーによる読み聞かせも続いている。
 メンバーは在校生のお母さんが大半だが、子どもが卒業した後も続けておられる方や孫が在校生なのでというおばあさんもおられる。中には、住んでいる学区は違うけれどもメンバーに誘われて参加している方もおられ、年齢の幅も動機も様々なグループである。
 月に1回メンバーの方が集まって読み聞かせの計画を話し合っておられるのだが、そこでは読み聞かせの本の情報交換のほか、子どもの悩みや相談も話題になる。

 ある日こんなことが話題になった。
「兄弟2人には、幼いころから同じように寝る前に読み聞かせを続けてきた。1人は本を大変好きになってくれたが、あと1人は、今のところ本を好きになっているようには見えなくて本を読んでいる様子も見られない。どうしてやろう?」
すると、すぐに
「そうそう、うちの子もそう。」
と言う声。でもほかの方からは、
「すぐに好きになるよ。今だけよ、焦せらんでも…」
「私の子の場合はね…」
と読書の話題をきっかけに子育ての話に広がっていったり、つながったりしている。1つの答えを出すのではなく。

このときは、
「あなた、子どもに読み聞かせをしている時、将来本を好きになりなさいって思ってやっていた? 自分も楽しんでやっていたんでしょ。それで子どもも楽しかったんでしょ。それでいいのじゃないの。」
というまとめ?のことばがあった。それは先に紹介したおばあさんの発言。
「本を読む楽しみを味わったという人生のページがあればいいんじゃないのかな。それ以上は本人次第。そんな思いでいいんじゃないの。」
と言うわけである。そうかと納得した。

 朝の読書時間、静かに読書する姿が本校で毎日見られること、それがいいことなのだ、大事にしたいと思えた。
 小学校時代を振り返ったときに「毎日本を当たり前のように読んだなあ」と振り返れることは素敵だと思うのである。
(大津市立田上小)